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大名屋敷が並ぶ政治の一等地 

2016年05月29日 外部ブログ記事
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霞ヶ関・丸の内には大名屋敷が連なっていました

霞ヶ関坂は、エリート武士の通勤路を象徴する名所です
大名屋敷は、諸国の『大使館』です
江戸の治安を担う激務のお役所、奉行所
歴史REAL「大江戸八百八町」記事参考&引用












霞ヶ関(歴史REAL「大江戸八百八町」記事画像引用)

霞ヶ関坂は、エリート武士の通勤路を象徴する名所です
霞ヶ関界隈は40〜50万石クラスの大藩の上屋敷がひしめく一等地です
42万石浅野家の赤門と52万石黒田家を有する霞ヶ関坂
坂下からは冨士、坂上からは江戸湾を望む景観、霞ヶ関通りを行き交う登下城の大名行列
霞ヶ関通りには、広島藩浅野家と福岡藩黒田家、井伊家大名屋敷も有った

大名屋敷は諸国の『大使館』
幕藩体制では、藩は現代に例えれば「一国」でした
諸藩の殿さまが江戸在府中に暮らし、政務にあたる上屋敷は、各国大使館のような位置づけでした
諸藩の大名屋敷が連なる丸の内、霞ヶ関は、江戸の権威を見せつける、全国無二の特殊な場所でした
江戸城に近い大名小路界隈は、内堀の中に位置することから御曲輪内と呼ばれた
一帯は親藩、譜代大名の上屋敷をはじめ、南北奉行所など政務・治世の中枢機関も集中していた
毎朝夕には諸国の藩主の登下城の行列も見学できるため、絶好のお江戸見学エリアだった

長屋塀の中からお国訛り
各藩邸には江戸詰の家臣が暮らす居住エリアもあった
実際屋敷に暮らす武士たちは、元は諸国の出身者
重厚な壁の内側ではお国訛りが飛び交っていた

江戸の治安を担う激務のお役所         
江戸には南北の奉行所があった
江戸市中の管轄を二分していただけではなく、月番(当番)と非番をひと月ごとに交代するシステム
非番でも受け付けた訴訟の事務処理を行っいた
南北奉行所には、1名の奉行を筆頭に、配下の与力が25名の小数精鋭の激務でした                  

お奉行『遠山の金さん』
テレビや時代劇で著名な江戸のお奉行といえば遠山金四郎景元
北町奉行所に勤務し、天保の改革時には芝居小屋の集中移転を提案し庶民の娯楽をまもった
晩年は南町奉行も務めた

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