メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

ZRX1200S城

廿日市天満宮 

2011年01月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


廿日市天満宮



殺風景なコンクリート補強がされていますが
もとは標高29.2mの篠尾山という山でした。



廿日市全体を見下ろすように建つ廿日市天満宮。
俗に天神、あるいは天神さんと呼ばれています。



厳島神社の神主として鎌倉幕府より任命された藤原親実(ちかざね)が桜尾城に着任後の
天福元年(1233)、藤原氏の守護神として鎌倉荏柄(えがら)天神社を勧請し篠尾山に社殿を造り鎮座されたものと伝えられています。
その後、初代神主職・藤原親実を新八幡宮として祀り、
寛文4年(1664)には下平良新宮を合祀し、廿日市の人々によって氏神として祀られている。



「廿日市観光協会パンフレットより」









                         
由緒看板




大阪、越中の商人が寄進した玉垣(石の柵)



廿日市は江戸時代中期から後期にかけて北前船が出入りして栄え、全国の回船問屋が寄進した玉垣がかつての繁栄ぶりをしのばせます。





鳥居前にある廿日市本陣跡の碑




鳥居前の道路は旧山陽道。
30年位前は江戸風の建物が結構残っていましたが
今はほとんど見あたりません。




鳥居から神門




狛犬がたくさんいます。
狛犬1 玉乗り型




狛犬2 
境内社の豊受神社。このあたりではあまり見ない型です。








神門




狛犬3 神門前 かなりくずれています。




境内社 稲荷神社




本殿。山上の境内は狭いです。




境内社の金毘羅神社、淡島神社




東隣は正覚院です。
神仏習合の時代だった江戸期には正覚院が天満宮を祀っていたので天神坊と呼ばれましたが、明治の神仏分離により天満宮と正覚院にそれぞれ独立しました。




展望台




広島市内方向の展望
手前の低い山が桜尾城跡。




正面。前は江田島 




宮島を望む




篠尾山城跡碑
城だったのは1200年前後でしょうか
私が子供だった頃はまだ木がありました。




廿日市もここから海が見えないくらい高いビルが建つようになりました。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ