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たかが一人、されど一人

私にとってのオリンピック 

2016年05月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

「オリンピック」と言えば、子供の頃は誰に教え込まれたか記憶にないが、オリンピックはアマチュアスポーツの世界一を決めるイベントであること。また、ギリシャ時代の古代オリンピックが戦争を一時中断して開催されたことに由来する平和の祭典ことが強く印象付けられた。同時にどこの国の言葉かも知らずに「スポーツマンシップ」がとても大事なことで、勝てば良いというものではない。卑怯なことをしてはいけないとか、参加することに意味があるなんてことも刷り込まれたものだ。長ずるに及んで世界的なアマチュアスポーツの祭典であり平和の象徴で、近代オリンピックがフランスのクーベルタン男爵の提唱で始まったのが僅か100年ちょっと前(第1回は1896年のアテネ大会)のことだからそんなに古いことではないこと。夏冬とも4年ごとの開催で、実は日本も我が誕生年の1940年に開催される予定だったが、世界中に戦争のきな臭さが臭い始めて急遽中止されてしまったことを知った。お蔭と言うのも変だが、実際にオリンピックを始めて知ったのは高校生になってから、1956年のコルティナダンペッツォ冬季大会で猪谷千春選手が入賞してからだろう。詳しくは記憶していないが、終戦後暫くは日本が出場できなかった大会もあった筈である。そりゃそうだろう、なんたって当時の日本は世界中から犯罪者扱いされていたのだから。それが暫くして大学生になってから行われたローマ大会の頃に前述のオリンピック精神なるものが脳裏に刻まれ、卒業後暫くして行われた東京大会で、三波春夫の「オリンピック音頭」(正確には「東京五輪音頭」と言うらしい)につられて、オリンピック開催の意義をはっきり意識することになった。自分もどうやら半人前とは言え社会の一員、日本も世界の平和を乱した前科者から更生したことを認められたとの思いである。あれから半世紀一寸、綾小路きみまろではないが、50年も経つと人間も社会も随分変わるものだ。次のオリンピックは2020年の東京開催が決まっているのはご承知の通り。第32回にあたるそうだ。どう考えても次の歌詞ような気持にはなれない。ハアー (ソレ)あの日ローマで ながめた月が(ソレ トトントネ)きょうは 都(みやこ)の 空照らす(ア チョイトネ)四年たったら また会いましょとかたい約束 夢じゃないヨイショ コリャ 夢じゃないオリンピックの 顔と顔ソレトトント トトント 顔と顔ハアー (ソレ)待ちに待ってた 世界の祭り(ソレ トトントネ)西の国から 東から(ア チョイトネ)北の空から 南の海も越えて日本へ どんときたヨイショ コリャ どんときたオリンピックの 晴れ姿ソレトトント トトント 晴れ姿

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