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江戸文化は、武士の影響大 

2016年05月15日 外部ブログ記事
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『江戸』は何故世界一だったのか?

「百万の人口」&世界に誇る江戸の多様な魅力
それは「識字率高さ、町の清潔さ、シンプルライフ、人への思いやり」
現代の人々には、江戸人から学ぶ点多々あります
歴史REAL「大江戸八百八町(竹内江戸東京博物館館長)」記事参考&引用






江戸文化(ネット他より引用)

江戸の人口が百万人を超えました
享保期(1720年頃)です
武家50万人、町人50万人、合わせて江戸は、人口100万人都市でした
詳細には、町奉行所が管轄する町人人口が50万人台だったことしかわかりません

町奉行所の管轄外に住む人口(武家と朱引に住む町人)
幕臣は、旗本が約6千人、他陪臣・家族もいますから、武家人口は実際にはもっと数が膨れます
約230藩に及ぶ江戸藩邸に詰めている家臣団が、江戸の武家人口に加えられます
武家人□は、大雑把に50万人ですが、町奉行管轄外の為根拠はありません
地方から江戸へ来た人の人口は、町奉行管轄外の地に住むので(朱引)カウントされていません
実際の江戸の町人の人口は、70万人位になっていたのでは?
幕末には江戸の人口は実質130万人です

重層的な江戸の文化と街づくり
江戸文化は「町人文化」へ武家も参加した文化でした
将軍・大名の家臣の多くは、生まれながらにして禄高を相続したため、だまっていても生活できました
悠々自適に暮らしたほうがいいという考え方の武士も多数いました
そういう武士は、和歌や俳句や狂歌や書画などの文化活動を行っていました
句会には、町人も、武士もいますので、そういう会では雅号、ペンネームで呼びあいます
町人と武士が一緒になった文化を創っていました

日常生活の中での武士と町人
他の城下町と異なり、2人に1人が武士がいる為、町人は、蕎麦屋他等で、武士が来ても誰も立とうとしない
武士も順番を待って行列する
権力にへつらわない、自由さのなかで、江戸ならではの文化が生まれました

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