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筑前町立太刀洗平和記念館 

2016年05月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

筑前町立太刀洗平和記念館


第二次世界大戦当時、日本陸軍が東洋一と誇っていた
大刀洗飛行場の歴史を物語る数多くの資料が一般公開されています。


特攻基地としても使われた過去もあり、多くの特攻隊員の遺影とともに、戦争の悲惨さを後世に伝える貴重な資料が多数展示されています




館内は ゼロ戦以外は撮影禁止



日本陸軍九七式戦闘機、旧日本海軍零式旧艦上戦闘機をはじめ、大戦(太平洋戦争・大東亜戦争)中の資料約1800点が展示さ れている。


昭和62年(1987)4月より、甘木鉄道太刀洗駅の旧駅舎を利用して個人により運営されていたが平成21年
(2009)10月3日、新たに「筑前町立大刀洗平和記念館」として、旧館前の国道500号線を挟んだ向かい側の筑前町高田に開館した。
 
新館の外観は格納庫を模したいわゆるカマボコ型であるウィキペディアより


パンフレット













零式艦上戦闘機三二型  世界で唯一の現存機です




第252海軍航空隊長 柳村義種大佐の乗機





昭和53年、マーシャル諸島タロア島のジャングルで発見され、様々な困難を乗り越え昭和58年に日本へ帰還


アメリカの軍人スティーブン・アイケン氏はマーシャル群島タロア島のジャングル爆発物処理中にひっそりと眠っていた零戦を発見。
島の酋長に頼んでこれを譲り受け、サイパン島の自宅へ運び込み独力で修復作業を行う。

昭和57年10月福岡航空宇宙協会(委員長 松本成一)は「完全な姿の零戦がサイパン島にある」という情報をえて、早速現地におもむきアイケン氏と接渉を行い買取り契約を締結。

昭和58年3月船便にて約40年ぶりに日本へ帰還。
福岡航空宇宙協会では会員の手で応急修理を施し、天満宮の大宰府園に展示。

日本に到着した時、はっきりと展示先は決まっておらず
陸揚した箱崎第五埠頭で零戦帰還記念祭 及びタロワ島英霊の慰霊祭挙行した際、居合わせた大宰府天満宮の宮司が展示場所を引き受けました。
太刀洗レトロステーションで聞いた話です。


昭和58年3月 大宰府園 零戦特別展示館オープン


昭和59年6月 名古屋空港ビル株式会社に新設の航空宇宙館館の目玉として三菱名古屋製の同機の貸与を要請。
10年の期限付きで許可


中日本航空により名古屋空港同社格納庫で修復作業


昭和60年7月 名古屋空港国内線ビル航空宇宙館で公開約19年間名古屋で展示


平成16年10月 名古屋航空宇宙館閉館

平成17年2月  福岡航空宇宙協会へ返還
 
朝倉市黒川の共生の里音楽館で一時保管されました


平成21年2月 大刀洗平和記念館にて展示開始


九九式二十粍二号固定機銃(20mm機銃)




343機が生産されたが
現存する機体は世界でこの展示機1機







エンジン栄二一型


天井には実物大のB-29をかたどった金網





栄一二型発動機とプロペラ


九八式射爆照準器は機体復元の際に、アメリカから入手した本物


両主翼端を50cmづつ切詰め、翼端の折り畳み機構を廃止する事で空気抵抗が減少し、最高速度・上昇力が向上



 幻の戦闘機「震電」
九州飛行機が製造した幻の戦闘機「震電」が終戦直前に
蓆田飛行場(現在の福岡空港)で飛行しました。
震電の資料があるのはここだけでしょう。






戦時中のポスター




日本陸軍九七式戦闘機
復元のために欠落部材はFRPで再現




九七式戦闘機については次回

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