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古地図と水戸黄門様 

2016年05月05日 外部ブログ記事
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水戸光圀公の出生の秘密と鎌倉

水戸光圀公は、ドラマのような日本全国を巡る旅をしてはいませんでした
日本の歴史を書物にまとめるために、日本各地へ学者を派遣し、情報を集めさせたました
BS11(尾上松也さんの古地図で謎解き!)の番組参考&引用


























水戸黄門様(「尾上松也さんの古地図で謎解き!」の番組画面引用)

大日本史編集
光圀公が生涯をかけて編さんに挑んだ、日本の歴史をまとめた書物です
完成は、明治に入ってからで、情報量が膨大であるかを物語っています
光圀公は、京都・奈良をはじめ、日本各地に学者を派遣し情報を収集させました
大日本史編さんチームが、全国の各藩を尋ね歩いた史実が「水戸黄門漫遊記」のモデルです
ドラマのように黄門様自身が、全国を訪ね歩いた訳ではありません
助さんのモデルとなった人も、編さんチームに含まれています
武士が戦乱の場での活躍の機会を失った事から、歴史書の編さんで名を上げようと行動しました

鎌倉地方だけは、水戸光圀公が自分の足で情報を収集
鎌倉には、水戸光圀公の数奇な出生の秘密が隠されていました
徳川家と鎌倉との深い関係⇒徳川家清和源氏のルーツ⇒源頼朝(武家政権始めて設立)
鎌倉観光の火付け役は光圀公⇒鎌倉の名所旧跡を本を出版し紹介

光圀公の黄門様の呼び名は、中国の官位の名称
「水戸黄門漫遊記」の上だけでの呼び名です
光圀公は、一般には「中納言様」「光圀公」と呼ばれていました
若い時は、乱暴でしたが、中国の歴史書の「史記」を読まれてから改心しました
水戸藩は、唯一参勤交代が免除されていた藩です
光圀公は、8割以上は江戸の小石川にあった藩邸で過ごされています

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