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玉垂宮 久留米市大善寺 

2016年05月04日 外部ブログ記事
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玉垂宮 久留米市大善寺




 神功皇后の遠征に大功のあった藤大臣(高良大明神・玉垂命)がこの地に下り、ここで没したため塚崎に墓を建て祀られた。


奈良朝の白鳳元年(672)法相宗(ほっそうしゅう)の僧・安泰(あんたい)が高良社阿弥陀堂の傍らに祭神を祀り、側に一宇の精舎を開基し、これを御廟院高法寺と号したのに始まる。 

 
後に天台宗となり、平安朝の弘仁5年(814)嵯峨天皇の勅令を受けた三池郡司師直(もろなお)が修築し、高良大菩薩の号を受け大善寺(だいぜんじ)と改めた。
最盛期には衆徒四十五坊、社領三千町を有していた。


明治政府の神仏分離政策により、明治2年(1869)廃仏毀釈(きしゃく)が行われ、久留米藩は玉垂宮のみを残して大善寺を廃止した。





毎年正月7日に行われる鬼夜は、数百人の裸の群像と日本一といわれる六本の大松明による壮観な追儺の火祭りで、この地方の年頭を飾る代表的な祭りで、国の重要無形文化財に指定されており、日本三大火祭りの一つといわれています。


惣門


惣門から楼門


楼門


回廊前の大くす


狛寅





拝殿

拝殿前の対

明和七年(1770)の古い狛犬






















綺麗な彫りが残っています




本殿 拝殿 楼門





境内社 佐野神



明治三十九年(1906)

四角い顔の対























鐘楼や阿弥陀堂も残されています

庫裡

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