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天皇と神社(1) 

2016年04月06日 外部ブログ記事
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天皇と神社

天孫降臨の地は?霧島神宮と高千穂神社?
出雲族と大和朝廷との関わり
初心者にもわかる『天皇と神社』平成26年版参考&引用














神社(『天皇と神社』とネットより引用)

天孫降臨伝説とは
天照大御神子孫が、天上界から人間の住む地上界に降臨したことにまつわる伝説です
大国主命が統治していた地上の繁栄する様子を天上界から見ていた天照大御神
地上界は本来、自分の子孫が治めるべき場所だと宣言する
天上界からおりてきた使者の交渉で、地上界は大国主命からに天照大御神に譲渡されることが決まる
天照大御神の孫「ににぎの命」が、地上界の統治者として天降ることになった
猿田毘古命の道先案内もあって、「ににぎの命」は、無事、筑紫の日向の高千穂に天降ることができた

天孫降臨伝説での2つの『高千穂』
「ににぎの命」が降り立った筑紫の日向の高千穂の久上布流多気とは?
候補地は、霧島連峰の高千穂峰と宮崎県の高千穂町です
「ににぎの命」を主祭神として祀る霧島神宮は、高千穂河原の「天孫降臨神館斎場」と呼ばれる場所に鎮座していた
高千穂峰の頂上には、坂本龍馬が新婚旅行で登頂した際に引き抜こうとしたといわれる天逆鉾が刺さっている
高千穂町には「ににぎの命」で始まる日向三代と呼ばれる皇祖神とその配偶神を主祭神として祀る高千穂神社に鎮座する
近郊には、くしふる峰、天岩戸、天岩戸神社、神々が会議をした天安河原など、神話にちなむ神社や旧跡が多い
高千穂神楽の里としても有名です
このふたつの高千穂のうちどちらかは、現在でも結論が出ていない

出雲大社境内から、巨大な「心御柱」を発掘
『古事記』で語られる、大国主犬神か国譲りの代償として希望した「太く立派な柱の神殿」
出雲大社の御本殿は、約48Mの高層建造物であったという史料が実証されたことになる

大国主大神の希望は、巨大な神殿の建設は直に実行されなかったののでは?
『古事記』によると、垂仁天皇の皇子は、口をきくことができなかった
天皇の夢に、出雲の大神が現れ「我が宮を天皇の宮と同様なものにすれば、皇子の口が話せるようになる」と告げた
天皇は、出雲大社の神殿を立派に造営させたところ、皇子は話せるようになったという
大和朝廷がそれまで疎かにしていた神殿造営をここでようやく果たしたともとれる記述です

なぜ都から遠く離れた出雲に、巨大建造物が造られたのか?
大和朝廷は、約束を果たす必要があったのでは?
一般的に考える、大和に「古代出雲王朝があった」からなのでは?
大和に強大な部族がいて、大和朝廷はその部族との和解の証として、神殿を築くことを約束したのでは?

歴史学者の村井氏によると
初代神武天皇が大和入りする以前に、既に大和を治めていた饒速日命は、出雲族の長です
御祭神・彦火明命(饒速日命)で、饒速日命は、大国主大神の娘婿ということになる
出雲族の勢力足囲は広く、大和もその支配下にあった
大国主大神の国譲りは、饒速日命の神武天皇への投降とぴったり重なるのでは?
大和が出雲の手中にあり、神武天皇が大和入りした時、そこにいた饒速日命が出雲族では?

古代から仰がれてきた三輪山に祀られているのは
大国主命の奇霊・幸霊である大物主神なのでは?
古代大和朝廷の中枢があった三輪山の麓を、物部氏、鴨氏、大神氏などの出雲系の有力氏族が守り固めていた
大和朝廷は、大国主大神―饒速日命の出雲王朝と戦った
出雲王朝は最終的には大和朝廷に服属した
服属の証として、出雲国造は代替わりのたびに都に出向き天皇の前で「神賀詞」を奏上
主従関係を明らかにしてきたしてきた、
代償として出雲大社という立派な神殿が担保されたのでは   

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