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のびたの日記

智恵子が千鳥と遊んだ九十九里へ 

2016年02月24日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し




 
千鳥と遊ぶ智恵子
人っ子ひとり居ない九十九里の 砂浜の砂にすわって智恵子は遊ぶ無数の友達が智恵子の名を呼ぶ
ちい、ちい、ちい ちい、ちい
砂に小さな趾(あし)あとをつけて 千鳥が智恵子に寄って来る口の中でいつでも何か言ってる智恵子が 両手をあげてよびかえす
ちい、ちい、ちい
両手の貝を智恵子がねだる 智恵子はそれをぱらぱらに投げる群れ立つ千鳥が智恵子を呼ぶ
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい
人間商売さらりとやめてもう天然の向こうへ行ってしまった智恵子の うしろ姿がぽつんと見える
二丁も離れた防風林の夕日の中で松の花粉をあびながら私はいつまでも立ち尽す
高村光太郎
 


 
九十九里は何度も訪れているが 高村光太郎と智恵子の愛を感じるには今だ
そんな気がして 昨日 思い切って車を飛ばした
日頃ボランティアなどでチョロチョロ走っているが 高速道は気持ちが良いものだ
 
もう少しで九十九里波乗り道路に出る直前に 真亀のパーキングがある
ここにある光太郎と智恵子の銅像に その由来がある
晩年の智恵子は 光太郎の愛に包まれているが 身体は蝕まれ統合失語症にもなる
 

 
実家である東北道 郡山の先にある造り酒屋は 今でも観光名所である
ところが嫁いだ後 実家は破産 以前から病んでいた肋膜炎も症状が進む
光太郎が2週間三陸の旅に出た時 睡眠薬の服毒自殺もはかった
 
精神病にもなり 過去を全て失った智恵子に 癒しの場があればと連れて行った
この近くの松林に別荘を持ち 7か月の間 智恵子を海岸に誘う
もう記憶も何もない智恵子 ただ童女となって 千鳥と戯れるだけである
 

 
最期は品川の精神病院で 肺結核を発病して 50年余の生涯を閉じる
いまわの時 光太郎がレモンを与える
これを数滴 嬉しそうに飲み この時だけ意識が正常に戻ったように見えたと言う
 
レモン哀歌
そんなにもあなたはレモンを待っていたかなしく白くあかるい死の床でわたしの手からとった一つのレモンをあなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つその数滴の天のものなるレモンの汁はぱっとあなたの意識を正常にしたあなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよあなたの咽喉に嵐はあるがこういう命の瀬戸ぎわに智恵子はもとの智恵子となり生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時昔山巓(さんてん=山頂)でしたような深呼吸を一つしてあなたの機関はそれなり止まった
写真の前に挿した桜の花かげにすずしく光るレモンを今日も置かう
 
写真の前に 今日もレモンを置こう
高村光太郎の 智恵子を想う心は切ないくらい崇高である
智恵子抄の歌が良くうたごえでリクエストされる この歌が愛される所以だ
 

 
樹下(じゅか)の二人あれが阿多多羅山(あたたらやま)あの光るのが阿武隈川(あぶくまがわ)
 
あどけない話智恵子は東京に空が無いといふほんとの空が見たいといふ私は驚いて空を見る
 
いずれも智恵子の没後 光太郎が偲んで書いた詩集の一節である
2編とも この後にひしひしと智恵子を思い 智恵子を描く詩が続く
若い時だけでなく こうして錯乱の晩年になるまで愛せる姿が尊いといつも思う
 
 
     最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m
 



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