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のびたの日記

孤児院へのボランティアは 私の定時制高校時代 

2016年02月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



今はボランティアが一般化していたが 当時は何と呼んでいたのだろうか
私のボランティアの始まりは 孤児院への訪問である 17歳の時である
定時制高校で働きながら学校へ行き 昼間は小さな鉄工所で働いて居た
 

 
中学を出るとクラスの3分の2は昼間の全日制高校へ行った
あとの私たちは 就職組とクラス分けされ その中から定時制を目指すものも居た
家が貧しくて 中学の修学旅行にも行けないほどである
 
別にそんなに悲観も持っていないで 親に自分から修学旅行を断ったことを伝える
そんな状況であるから 働いた給料からは3分の一は生活費に入れたものである
それでも残りがある たまには映画を見たり少し貯めて貧乏旅行に行った
 

 
当時 学生は国鉄運賃は子どもと同様 半額であった
それも料金は逓減方式で 遠くへ行くほど1キロ単位の料金が下がるのである
東京から一筆書きで東京へ帰れば2千?をこえ 下関まで行って1000円だった
 
食事はアンパンが安く 車内では これが私の定食 何日も食べたら飽きた
宿泊は小さな旅館を探し 食事無しで素泊まり専門である
これをも節約して 夜行列車を各地で利用した 全国に夜行は必ずあった
 

 
ある時 区内に孤児院があることを知り 友人と訪れた
そんなに奉仕の精神があったわけではないが 若い血が呼んだのだろう
初めて 自分より恵まれない人たちのことを知った
 
テレビも買えない 新聞も読まない 世間に関しては疎い私だった
終戦後 両親を失った子供たちを集めた施設があったのである
ボランティア訪問と言っても 私たちは何も芸も無い 今ならいろいろ出来るのに
 

 
話すことも不得手だし 子どもと遊んでも短い時間しか出来ない
それでも続けることに意義があることは学んだ
私は自分で出来ること それは何かを買って持って行くことしかない
 
文房具なら何とか買える 時には奮発して 木琴なども買った
これらを買って 孤児院を訪ねて行くである
これが私のボランティアの始まりである あれから60年は過ぎた
 

 
昨日は 地元のディケア施設へ音楽訪問
顔なじみになった利用者さんが嬉しそうに歌って居た
明日も 明後日も ボランティア訪問 これが私の人生を支える
 

上の写真は墨田区の香取神社 香梅園
   
 
      最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m
 



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