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映画が一番!

杉原 千畝 

2015年12月18日 ナビトモブログ記事
テーマ:ドラマ

映画ファンの皆さん、おはようございます!

”最高のサッカー人生だった」と澤穂希さんが
引退宣言、引退理由は
”トップレベルで戦うことが難しくなった”とのこと、
いつか訪れる舞台からの退場。今後は、
女子サッカーのレベルアップのために
頑張ってくれるでしょう。

今日の映画紹介は上映中の「杉原 千畝」。
第2次世界大戦時、リトアニア領事として、
日本政府に背いて6000人ものユダヤ難民にビザを発給し、
その命を救った杉原千畝。
“日本のオスカー・シンドラー”と
呼ばれた彼の功績と、知られざる一面にも
スポットを当てた歴史映画。

キャッチコピーは
”あなたは、本当の杉原千畝を知っていますか?”、
”ひとりの日本人が、世界を変えた”。

1935年(昭和10年)。数ヵ国語を操り、
独自の情報網を持つ、外交官・杉原千畝(唐沢寿明)は
インテリジェンス・オフィサー(諜報外交官)として、
ロシア人・イリーナ(アグニエシュカ・グロホウスカ)の
協力で、ソ連北満州鉄道譲渡の交渉を成立させる。

満州国外交部から外務省に転職して、日本滞在中に
菊池幸子(小雪)と結婚。千畝が36歳の時。

彼は在モスクワ大使館への赴任を希望するが、
北満鉄譲渡でソ連から危険人物とされた彼は
「ペルソナ・ノン・グラータ(歓迎されざる人物」と
指定され入国拒否され、フィンランド公使館勤務後、
リトアニア・カウナスにある日本領事館の勤務となる。

1939年、カウナスで千畝は新たな相棒となる
ポーランド人のペシュ(ボリス・シッツ)と出会い、
リトアニアで諜報活動を開始。

そんな中、ナチスドイツがポーランドに侵攻し
第二次世界大戦が勃発。

ナチスの迫害から逃れようと通過ビザを
求めるユダヤ難民がカウナスの日本領事館を取り囲む。

その数は日に日に増していき、
千畝は日本政府からの了承がないまま難民たちに
通過ビザを発給する……。

監督が日系アメリカ人のチェリン・グラック。
監督は英語、日本語、仏語に堪能だけに
国際色豊かなスタッフ、キャストをまとめ、
ワルシャワほかポーランド各地で撮影を敢行して
当時の歴史背景を丁寧に撮っています。
その背景から千畝の存在価値を浮き出させる手法は
素晴らしいですね。

唐沢寿明の英語の台詞に違和感を覚えなかったのも
この舞台設定があったからでしょう。

”命を救う、一枚の紙”、これは当時もそうですが、
現在も、ヨーロッパに押し寄せる難民のニュースを
見るにつけ、”人間とは…”。
この映画を観て感動しながら複雑な感情でした。



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今日は〜!

yinanさん

SOYOKAZEさん、
彼は本国からのやりとりで時間を稼ぎ、
決定の命令が来るまでは、
ビザを発行する、しないは自分の判断で
出来るとビザの発行を決意しました。

この結果、彼は日本政府から免官され、
彼が名誉回復をしたのは、
生誕100年の2000年(平成12年)。
河野洋平・外務大臣によってなされました。

シシーマニアさん、
「杉原千畝」では、
監督が日系アメリカ人のチェリン・グラックだからか
ナチス同様、関東軍の暴虐もきちんと描いていました。

戦争は人間を狂気に駆り立てるようです。
ユダヤ人虐殺もそうですが、日本軍もアジアで
やっています。大きく考えればアメリカの原爆投下を
含めて無差別の大空襲などは大虐殺ですからね。

根元には人種差別があり、異常な行動をとるのでしょう。
テロも一種の戦争ですから、今も昔も人間は同じことを
繰り返しています。人間とは不可解な動物です。

2015/12/19 10:52:11

とにかく怖い時代でした

シシーマニアさん

昨日私は、「黄金のアデーレ」を見てきました。
主人公がユダヤ人なので、背景にはナチの問題があります。

あの時代に、人道的な行為のできた人は、一体どれだけいたでしょうね。
自分への課題としても、怖いですね。

2015/12/18 09:54:55

誇りに思っています

さん

おはようございます。

あの戦時下で杉原千畝のような日本人が居たことを誇りに思います。
我が身の保身や利権に血眼になる、役人にこそ見て欲しいものです。

私は、忙しいと言いながら、今日は「母と暮せば」を観に行きます。

2015/12/18 09:39:14

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