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クラークさんの9人のお孫さん 

2015年12月17日 ナビトモブログ記事
テーマ:思い出すままに

今年も、クラークさんからクリスマスカードが届いた。

アメリカ在住の頃、親しくさせていただいたご一家である。


自宅で「ジャパニーズパーティ」を開くから、参加しませんか、というのが最初だったと思う。

クラークさんがホストになっていたファミリーが、日本から来たNさんだった、というのがきっかけだったと思う。

小さな街なので、Nさんも私たちも、同じ大学内のアパートに住んでいて、面識があったのだ。

更に、私達のホストになって下さったオパルスキーさんが、クラークさんとは家族ぐるみの付き合いでとても親しかった、など小さな町特有の様々なつながりで、知り合ったのだと思う。


「もし持っていたら、着物姿を披露してください」と言われ、着付けもできないのに持参した着物を、N夫人に着せて戴いて、お蔭で私は、最初の日から思いがけずも脚光を浴びてしまったのだった。

クラークさんのお宅は、プールがあって広いお庭に囲まれた家だったけれど、これがアメリカの中産階級が生活する、ごく普通のたたずまいなのではないかと思う。

リビングには、グランドピアノが置いてあって、私は着物姿でピアノも弾いた。

アメリカへは、主人の関係で行ったので、周りに音楽関係者は余りいなかったから、私はいつも「ああ、ピアニストの方ね」とすぐ覚えて貰える、という恵まれたシチュエイションにいたのだった。



集まった中には、ピアノクラブでお宅に伺った事のある、へーベル夫妻も居た。

大学教授のご主人は趣味が広く、奥さんはピアノクラブの会長さんをしていた。

へーベル夫妻も、クラーク夫妻とは親戚の様に親しそうに見えた。


それから、クラーク家、オパルスキー家、へーベル家のホームパーティに、よく声をかけて戴いて参加した。

ピクニックと呼ばれる野外パーティは、幼かった子供達もつれていけて、私たちには特に楽しいものだった。


一度、主人と二人で、左手にそれぞれ子供を一人ずつ抱えながら、フリスビーをしたことがある。

若さ以外の何物でもない、無謀な遊び心だったが、クラークさんのご主人には驚異的だったらしく、後々まで思い出しては、誰かに語っていた。


何度目かのピクニックで、クラーク家の末っ子ジョーイがヒスパニック系の養女だと聞かされた。

男の子のように元気に入りまわっているジョーイは、ごく普通に、北欧系のクラークファミリーに溶け込んでいたので、それまで全く気付かなかった。


そしてあるとき、へーベルさんのホームパーティで、おいとまする少し前、外から帰ってきた子供たちが挨拶をしに、リビングに姿を現したことがある。

末っ子ちゃんの男の子は、見るからにヒスパニック系で、飛び切り美人のお姉ちゃんたちに甘えていた。

クラーク家とへーベル家は、家族構成が似ているから、よく一緒に旅行したりする、と聞いていたことが、やっと納得できた。



帰国後も、クラーク夫妻が日本を訪れたり、私たちがカナダに在住していた頃、車で南下して懐かしい方々にお会いしたりして、未だに細々と交流は続いている。


今の季節になるとファミリーニュースを色々書いたクリスマスカードの(近頃は「季節のご挨拶」という様だけれど)やり取りも続けている。


私も、この時ばかりは頑張って、1年間の子供たちの成長や、私の音楽活動などを報告したりするのだ。

私の中学生レベルの様な英語を、殆ど書き直すくらいに添削した主人は、私の清書した長文の末尾に、数行書き加えるだけなので、遠方の友人たちは、私の手紙だと思って、英語のユーモアがわかる楽しい内容だ、と楽しみにしてくれているらしい・・。


四人いるクラークさんのお子さんたちは次々と結婚して、次々と男のお孫さんが生まれた。

バスケットチームの漫画に、お孫ちゃんたちの顔写真を張り付けた手紙なども届くようになった。

更に男のお孫ちゃんが続き、野球チームまであと一息だ、と言っていたのだが・・。

ある年突然、9人が勢揃いした写真が届いたのだ。


文章を読んでみると、二男の家で、中国系の女の子を養女にしたので、とうとう9人になったよ、と書かれてあった。


私は、その手紙を読んで、込み上げてくる様に感動してしまった。


バンドばかりしていて、典型的なアメリカの高校生に見えたあのスティーヴが、立派なお父さんになって、既に双子も含めた3人男の子がいるのに、今又、異なる社会から養女を迎えたのだ・・。


これこそ、クラークさん夫妻の養育が、見事に実を結んだ証ではないだろうか。



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周りの人たちの反応でしょうね。

シシーマニアさん

彩さん、コメントありがとうございました。

西洋志向の強い私は、どうも海外へ行くと性格が変わるようです。

通常、比較的周囲の反応が気になる性質ですが、海外の人達が相手だと、余り気にならないのです。
多分、周りの人たちの空気が違うのだと思います。西洋では、他人のことを気にせずに生活している人が多い印象があります。
また、外国人の表情のニュアンスや言葉は、よくわかりませんので、かえって気楽なこともあるのだと思います。
何故か、積極的になれる気がします。

それが、シニアになってから、何処にいても積極的になれてきた気がするのです、最近。

結局、老婆になって怖いものがなくなってきた、ということかなと思います。

そして海外だとそれが、しょせん失うものがないからなのでしょうね、怖くないのだと思います。

2015/12/18 08:47:32

文化の違いでしょうね・・。

シシーマニアさん

吾喰楽さん、コメントありがとうございました。

養子を迎えるという、基本が違うのでしょうね。キリスト教もかんかいしてるのかあ。
博愛精神でしょうか。

そうですか、吾喰楽家のご子息はゆったりと登場されたのですね。
我が家は、結婚二周年直前に二人目が生まれていました。結婚が遅かったので、ラストスパート、という様相でした。

2015/12/18 08:34:04

人間力

彩々さん

ご主人様のお仕事の関係といえ、シシーさんは
何処へ行かれ、何処で住まわれようが順応性といい
人間力がおありなのだと思います。

国際感覚的なものは学生時代をウィーンで過ごされたほど、
音楽の才能にも恵まれておられます。
でも、回りの環境に順応できず挫折する人も多かった
はずです。
人にも恵まれておられるようです。

>3人男の子がいるのに、今又、異なる社会から養女を迎えたのだ・・。

こうした話もよく耳にしますが、色々な面で
日本は30年は、遅れていると思いました。
私のことを妹のように可愛がってくれた女性も(日本人)
ずーっとワシントンで暮らしてますが、実子の他に
3人の養子を育て、みんな独立され今はご夫婦だけに
戻ってます。

グローバルだとか国際的な生活様式、考えだけだけでは無く、
人としての人間力の問題なのでしょうね!?

2015/12/17 12:17:36

国民性?

吾喰楽さん

こんにちは。

日本だと、子供がいない夫婦が、養子を考えることが多いようです。
実子が三人いらして養子とは、中々、出来ないことです。
自分たちの利害ではなく、相手を思いやってのことですね。
頭が下がります。

ちなみに、私は子供が授かるのに、丸四年を要しました。
でも、養子のことは考えませんでした。
老後の二人暮らしを覚悟しました。
でも、二人暮らしは、叶いませんでした。

2015/12/17 11:59:19

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