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のびたの日記

日本一短い言葉で通じる津軽弁のあたたかさ 

2015年12月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



昨日もディサービスの音楽訪問 皆さんに歌ってもらった
最初は集まりも悪いのがここの例 だんだん増えて 終わりには相当数になる
3.4人の時は あまり私もトークしないで進めるので歌の数は多くなる
 
比較的元気な方が多いので 時には利用者さんやスタッフと会話のやりとりもある
今日も介護施設に行くが ここは認知症の方も多く 介護程度も重い方が多い
この差は大きく 私の進め方 心構えもかなり違ってくる
 

補修工事で最近 天守閣が300メートル移動して話題になった
 
始まる前に 女性の利用者さんとスタッフとの会話を準備しながら聴いていた
津軽弁の話である どうやら利用者さんとの会話を引き出すため努力しているようだ
高齢者で 認知症が進み始めていても 興味ある話 故郷の話は良く覚えている
 

弘前城址から見る岩木山
 
津軽弁は 温かみもあるが かなり難しいものがある
かなり前 青森の酸ケ湯 混浴の大風呂で隣のおばあちゃんから話しかけられた
どちらかと言うと私は相槌を打つケースが多い と言うのは半分は通じないのだ
 
折角話しかけてきているのに 無視は出来ず まじめに聞く
うん うん とうなづいたりしているが 意味は分からずである
大阪弁あたりは お笑いの世界で良く聴くので抵抗なく受け容れられる
 

津軽鉄道冬景色
 
青森に住む いなかっぺい氏の話を聴く機会があった
津軽は日本の文明の先端を行っていた
これは 三内丸山遺跡に証明され これまでの縄文文化の歴史を覆した
 
4000年もの昔 今までの教えられた縄文時代の背景とはとんでもない文化だ
弥生時代より ものによっては 進化している歴史の遺物が表していた
更には 津軽の十三湖には 大和より古い栄華の時代があった
 

津軽の殿様が眠る東勝寺
 
まかり間違えば 津軽は 日本の文化の中心であったかもしれない
津軽弁が標準語で 東京弁は方言なのだ
こんな話が いつも頭に残っていて 添乗員でも うたごえでも 紹介してきた
 
私のボランティアの相棒も 津軽・弘前の出身である
私の添乗員時代は かなりの度数 津軽や下北に旅してきた
桜と言えば 弘前城が必ず入り 冬は 津軽の地吹雪体験のツアーもあった
 

津軽鉄道 この日は雪が少なかった
 
以前の会社でも 社員の多くは東北・北海道出身者が居た
それだけに 津軽弁は あまり理解できなくても愛着がある
昨日のその女性 会話を更に聴いていると どうやら秋田の北部出身らしい
 
白神山地などは 両県にまたがり いつの間にか県境を越えている
秋田縦貫鉄道沿線なども 列車よりバスでの移動が多かった
時には 観光バスでガイドが居ないときは 私が話などしたりして退屈させない
 

津軽の冬の名物 ストーブ列車 ストーブで焼くするめが旨い
 
津軽弁で特に有名なのは 日本一短い単語で通じることである
字で表せば たった一字である もちろん 他の単語との組み合わせもある
な≒あなた わ≒私 え≒家 く≒食べる け≒食べなさい ど≒どこ ゆ≒お風呂など
 

太宰治の生家 斜陽館
 
方言は 永いあいだ その地域で話されてきた歴史がある
だから 人と人のコミュニケーションの大切な心のあたたかさがある
しかし 標準語社会で すでにかなりが消えようとしている
 
最近では この方言の良さが見直されて 堂々とテレビでも方言で登場する
車のナビでも 可愛い標準語の女性の案内に代わって 方言が出てくる
でも私はナビで方言はいやだ 何やってんのや ぼけ 左まがるんや・・ではね
 
 
 
     最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m
 



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