忘れな草

米 

2010年12月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



私は年末に必ずブランド米を買う。お正月だけ極上の米と言われる、新潟県魚沼産のコシヒカリを食べることにしているからである。
元旦はお餅を食べるが、翌日はつやつやの極上のご飯で夫の好きな「すき焼き」を食べる。年に一度の贅沢である。


10年ほど前、住井すゑの「橋のない川」(明治時代の小作農の話し)を読んだ時、米作りの苦労がそれまで思っていたものよりはるかに厳しいのだと思った。「代かき」「田植え」「稲刈り」などの言葉は、小学校の社会の時間に学んで、テストでは正しい答えを書くことはできたが、実際にはどのようにするのかは知らなかった。
私は今ではスーパーでお米を買っているが、実家では母が米屋に電話をかけて配達をしてもらっていた。つまり、「電話をかけるとお米が届く」というとても簡単な方法で、温かいご飯を食べることが出来たのである。農家のコメ作りを実際に見たことがなかったため、社会で習った「代かき」が、自分が食べているお米に繋がる事柄だと理解していなかったのではないだろうか。


冬が終わり、春がやってくると、「代かき」を終えた田んぼでは「田植え」が始まる。そして、初夏になると小さかった苗が育ち、青々とした景色が広がってくる。暑い夏の間には水面が見えなくなるほと稲が成長し、やがて穂が実り、9月末ごろにはずっしりと重くなった穂は頭を垂れ始める。濃い緑色の景色が徐々に黄色みを帯びてくるのを車の窓から見て、新米を待ちわびる私である。調べてみたら、「米」という漢字は、八十八を合わせたものになっているが、お米が実るまで八十八回も手をかけるから、という意味があるそうだ。


面白いことに、米が主食でもないのに、アメリカは「米国」、メートルは「米」と表記する。そして、八十八を合わせると米、「米寿」は数え年で88才である。
数えで88才ということは、来年85才になる実家の母は、米寿まであと2年半ちょっと。元気に迎えられるようにと祈っている。

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