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ウィーンの香りがする映画「野ばら」 

2015年09月14日 ナビトモブログ記事
テーマ:シニアライフ

先日セール品で購入してきたDVDの、古いドイツ映画「菩提樹」と「野ばら」を見た。

「菩提樹」は、後にリメイクされた「サウンド・オブ・ミュージック」のオリジナル・バージョンである。

今になってみると、主演女優の、ルート・ロイヴェリックはとても綺麗だし、トラップ男爵家の邸宅も素敵だったけれど、やはりハリウッド映画のあのスケールの大きさには、一歩を譲るなあ、という印象であった。

だが、小学生の時に映画館で見て以来なのに、ずいぶん細かい情景を覚えているのには、自分でも驚いた。

子供の記憶力は、大したものである。

もっとも、思い出せば弟や従姉妹たちと、どれだけ「マリア(菩提樹の主人公)ごっこ」をしたか知れない。


私の西洋志向の根っこは、この二つの映画と、「プリンセス・シシー」というオーストリア帝国のエリザベート皇后の映画で培われた様なものだから、覚えているのは当然かもしれない。


「野ばら」という映画は、主人公が少年だから、多分子供向けの映画だったのだろう。

単純なドイツ語なので、私でも分かり易く、しかも舞台がウィーン少年合唱団なので、ウィーン訛りが随所に出てきて、これはとても懐かしかった。


私が、最初に下宿したハイネ通りは、「アウ・ガルテン」と呼ばれる広大な公園に隣接していた。

其処には、アウ・ガルテン宮殿という名の、ウィーン少年合唱団の寄宿舎があり、又アウ・ガルテン陶器として有名な工場もあった。

よく散歩中に、少年たちを見かけることはないかなあと期待したけれど、運動でもしているのか歓声が聞こえたことはあったけれど、残念ながら出会ったことはない。

もっとも、ウィーンでの演奏会やオペラでは、少年達の出番には大体彼らが登場したし、宮廷内にある教会では、毎週日曜日に聖歌隊として歌っていたので、街の演奏団体の一つ、的な印象ではあった。


何しろ、せまい町である。

犬も歩けば、オペラ座団員やウィーンフィルの団員に出会うくらいの感覚だ。

母校では、ピアノ以外の先生達は、ウィーンフィルで演奏したり、夜になるとオペラ座で演奏してらっしゃる方が大勢いた。

私などは有名なソリストに会いたくて、レッスンを聴きに行ったりもしたことがあった位である。

そんな、ウィーンの様子が偲ばれる映画であった。


主人公のトーニを養子として引き取ったおじさんの家は、どうやらドルンシュタインにあるらしく、有名な水色の教会の塔が見え隠れしていた。

最初に、ウィーン少年合唱団が歌っていた教会は、聖フローリアン教会かもしれない。

地元の人たちが見れば、「ああ、清水寺だわ!」といった感じで、きっとすぐわかる教会なのだろう。


昨日は又、ナビ友さんの推薦してくれたDVDを数枚、Amazonにて注文。

又新しい楽しみが増えた。



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やはり、ドイツ語で

シシーマニアさん

喜美さん、コメントありがとうございました。

何故でしょね。私もこの曲だけ、ドイツ語で歌っていました。全国的な傾向なのですね。

2015/09/15 13:07:52

映画は見ませんでした

喜美さん

野薔薇は不思議な事に英語も知らないのにこれは原語で歌いいますね
菩提樹も好きな歌です

2015/09/15 11:25:02

憧れでしたね

シシーマニアさん

のびたさん、コメントありがとうございました。

やはり印象に残っていますか。
そうでした、総天然色でした。
美しい景色が、夢の世界の様でしたね。
ヨーロッパという響きが、美しくパッケージされて、ハリウッドとは別の魅力がありました。

2015/09/15 10:10:07

二つの映画観ました

のびたさん

あまりにも懐かしい映画です
有楽町のロードショーで見た頃は17.8歳の頃です
野ばらの少年が可愛かったこと ウイーン少年合唱団では 変声期になると退団も この時知りました
菩提樹も素敵な映画でした
このあと ウイーン少年合唱団が来日した時は 聴きに行きました
この頃 日本の映画はカラーが出始めの頃です
それが この二つは総天然色(笑)で美しかったです
因みに カルメン故郷に帰る 緑はるかなり≠浅丘ルリ子さんデビューですが カラー映画でしたね

2015/09/14 17:50:08

ウィーンに憧れた原典です

シシーマニアさん

Reiさん、おはようございます。

やはり、ドイツ語で歌っていらしたのですね。
合唱団に入っていらしたのなら、そこで覚えられたのでしょうね。
私も何故か、この曲だけはドイツ語で歌っていました。教えてくれた母親も、西洋志向が強かったのかも知れません。
懐かしい映画でした。
そういえば「天使の歌声」と言われていましたね。

2015/09/14 10:11:51

色々思い出があります。

シシーマニアさん

SOYOKAZEさん、おはようございます。

やはり、ドイツ語で歌ってましたか。
レコードを聴いて覚えられたのですね。

われわれの世代は、母親から教わりましたので、何か時代的な背景があるのではと思っていました。

懐かしいですね。
西洋志向の強かった私は子供の頃、ウィーン生まれの修道女の方の前で、友達と二人で歌ったことがあります。
その方にすっかり憧れた私は「大人になったら、私、修道女になる」と宣言しました。
友達は「私は、今すぐには決めない」と言うので、なる程結論は簡単に出すものではないな、と思ったのを今でも覚えています。

2015/09/14 10:10:06

Wiki は便利ですね

シシーマニアさん

吾喰楽さん、おはようございます。

忘れな草のドイツ語名は知りませんでした。昔、そんな題名の映画を見た記憶があります。

タラコのスパゲッティは、プロのレシピはやはり一技違うのですね。
私は、明太子だけで味付けもしませんが、我が家では人気メニューです。

2015/09/14 09:55:04

野薔薇

Reiさん

なぜか私もドイツ語で歌えます(((^_^;)
その昔、小学生のころ、熊本少年少女合唱団にいたときに習いました。

忘れないものですね…SOYOさんの書かれた歌詞を見て、懐かしく思い出しました。

ウィーン少年合唱団の映画も、ずっと前に観たように思います。
天使の歌声ですね。

2015/09/14 08:47:03

ウイーン少年合唱団

さん

小学校高学年から、中学時代、殆どのドーナツ盤を持って聞き惚れていました。

野薔薇
ザーナイン クナーバイン レースライシュテン レスライナフテル ハーイデン♪
発音はともかく、今でも二種とも歌えますよ。
レコードを聞いて覚えました。

2015/09/14 07:58:54

ドイツ語

吾喰楽さん

おはようございます。

ドイツ語を勉強したことはありますが、ほとんど忘れました。
覚えているのは、「イッヒ リーベ デッヒ」(アイ ラブ ユー)と「ヘルゲス マイネ ニヒト」(忘れな草)くらいです。

私は、子供のころの記憶といえば、やはり「食」に関することです。
今日、ブログにタラコのことを書きました。
横川駅で飲んだ、山羊の乳も覚えていますよ。

2015/09/14 07:31:26

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