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聖光寺(しょうこうじ) 狛犬あり石物多数 広島市東区 

2015年08月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

聖光寺(しょうこうじ)

尾長山の麓にあり曹洞宗ではかつては万松山瑞川寺(ずいせんじ)と称されていました。
創建は明らかではありませんが、僧周尊が毛利元就親子から手厚くもてなされていました。


その縁で孫の輝元が天正十七年(1589)、広島城を造るために現在の二葉山などに登って城池の位置を検分した際、この寺に泊まったといわれています。


その後寺運が衰えて、浅野時代には國泰寺の末寺になったこともあります。

昭和50年(1975)、中区小町の洞景山聖光寺と合併して寺号を聖光寺と改めました。(HPより)


廣島山の扁額


山門下より


門内左手は四国八十八ヶ所ミニ霊場








石段上に狛犬がいます


古い尾道型です。
本来はどこにあったか不明です。















文政七年(1824)


良い型です。石工名が分からないのがざんねんです



































吽形の後方には大石内蔵助父子の供養墓、増輝稲荷
六地蔵があります

          
     大石内蔵助父子の供養墓


 
足軽の寺坂吉右衛門が広島藩に報告は無理でしょう
広島藩に預けられた浅野大学に報告したかも


浅野家はよく領内に供養墓を作らせたものです。     


      大石内蔵助父子の供養墓



増輝稲荷







享保十六年(1731)の盥漱石(かんそうせき)
かんそうとは手を洗い口をすすぐこと


山門と狛犬


本堂


本堂

本堂の庭 枯山水「洞景苑」 


古銭に擬した円中の判じ文字があります。
「吾唯足知(われただたるをしる)」


これは釈迦の教えの中にある言葉で、今の自分は
これ以上の我欲を求めてはいけないとの意味です




かえる


十六羅漢






なぜかカエルが多いです





鐘堂


平成元年(1989)聖光観音の像が建立されました。


まばゆい聖光観音


聖光観音様の裏には裏観音堂


派手な燈籠


展望

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