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ある日のレッスン室 

2015年08月26日 ナビトモブログ記事
テーマ:音楽

学生が、隣のピアノの前に座って、気の乗らない様子で弾いている。

私も、ピアノの前に座り、ちょっともどかしく、それでも最後まで聴き続ける。

音大のピアノ・レッスン室には、大抵二台のグランドピアノが並べてあるのだ。

弾いている曲は試験の課題曲、ドビュッシーの「パスピエ」だ。



楽譜を見る限りでは、リズミカルな変化が余りないし、譜面の景色も単調なのだ。

でも私の頭の中では、フランソワのあの魅惑的な演奏が鳴り響いている。

譜面からは予想もつかない、あの酔っぱらいの足取りの様なリズム感。

タッチや、音色、音響が、瞬時に変化していくので、それが彩色の変化のように見えてきたり、ある時は感傷にひたり、ある時は倦怠感があふれ、退屈させる隙がない。


そこで私は、自分の中にある想念を、何とか学生と共有したくなって、それらを言葉に置き換える作業にチャレンジする。


ねえ、パスピエというのは古い踊りの名前だから、左手で弾く4個の音符の単位は、ステップのイメージじゃないかしら。

両足で交互に踊っているのだから、むしろ揃っている方が変じゃない?

例えばね、村祭りがあって、大きな焚火のまわりに、村人たちが集まってきて、皆で軽やかに踊っている、そんな風景。


右手に出てくるメロディは、年老いたおばあさんの昔語り、かな。

「昔、一人のかわいい娘がおってのう・・。ちょっとばかり、おきゃんな子でなあ。

はねっかえりだったけど、優しい娘だったから、村では人気者だったのよ・・」


この辺から、学生の表情も変わってくる。

私は、勝手な妄想を口にしながら、目の前のピアノで自分も弾いてみる。

頭の中は、フランソワの演奏で一杯だから、既に私の中はパスピエ・モード全開だ。

そしていつの間にか、学生と一緒に曲の素晴らしさに引き込まれていく、というわけだ。

曲に引き込まれていくと、弾いても教えても、楽しい。


ショパンのバラード一番、私の最も好きな曲。

私が勉強し始めた10代終わりの頃は、ショパンは理想の男性像のイメージであった。

そして、自分が50才も過ぎたころから、自分はショパンの母親的視線になっていった。

久しぶりに、故郷に戻ってきた息子。

すっかり傷ついて、それでも自分の世界を歩み続けて、壮大な話を、母親に聞かせてくれるのだ。


わかった。もう、いいから。

もう、安心してゆっくりおやすみなさい、

とあの曲を弾いていると、必ずそんな気分になる場所がある。


素晴らしい曲に出会うということは、作曲家の素敵な話を聞くことに、とてもよく似ている。



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イメージが膨らみます

さん

シシーマニアさん、ほんとに素敵な先生ですね。
私も、こんな先生からピアノを教わっていたら、もっと上達していたかもしれません。
想像できるという事は、とても大切ですよね。
イメージが湧くと、夢も膨らんで楽しくなります。

2015/08/29 14:03:14

豪奢なプレゼント

シシーマニアさん

パトラッシュ師匠、コメントありがとうございました。
師匠に戴いたテーマから、今まで逃げ続けてきましたので、真面目な私としては今回こそはきちんと向き合おうと思いました。
師匠の批評は、いつも気遣いにあふれていて、これこそが才を伸ばす指導法なのだと、感じました。
こんなたとえ話でも、聞き手がいるのだ、というのは何という豪奢なプレゼントでしょう。
有難うございました。

2015/08/26 20:05:43

壺に嵌る

パトラッシュさん

表現に際し、求められるのは想像力。
(妄想でもいい)
と承りました。
以って銘ずべきことです。
そのためには、常に、感性を磨いておかなければなりません。

シシーマニアさんの示唆は、その生徒を頷かせるばかりでなく、
私のような部外者にも、余慶を与えてくれます。
今回のは特に。

想念の伝達作業、うまく行っています。
「昔、一人のかわいい娘がおってのう・・。ちょっとばかり、おきゃんな子でなあ」
これだけ巧みに喩えられたら、頷かない生徒はいないでしょう。

2015/08/26 15:03:17

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