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じいやんの日記

私と戦争 

2015年08月11日 ナビトモブログ記事
テーマ:日記

もちろん戦争経験はない。
しかし、私の中で戦争はいくつかの思い出として残っている。
1945年8月6日広島市に、3日後の8月9日に長崎市に原子爆弾ファットマンが投下された。
その際に広島で被災したミチおばちゃんが(当時40歳代の女性)わが家で同居(商売をしていたので下働き担当)をしていた。
13歳ぐらいまで同居していたがその後の消息は記憶にない。
顔の半分と首筋から胸にかけてのケロイド。
背中一面のケロイドを何度も見た。
私が小さな時に夏になると薄い肌着一枚で、洗濯や炊事作業をしていた。
子供心にその姿は異様に映っていたが、すぐに慣れたように思った。
また、私が住んでる所は終戦後から朝鮮戦争終結までの(昭和31年まで)連合国軍「進駐軍(しんちゅうぐん)」が駐屯してました。
中学になった頃、ミチおばちゃんは広島で被災したことを何度かにわたって話してくれた。
決して裕福な生活でもないが、身寄りのない独り身で寂しい思いをしていることもあって、私に年に何回かは少ない額ですが小遣いをくれたりして、かわいがってくれた。
戦争の悲惨さ
原爆の後遺症の恐怖
等を時には涙を流しながら話してくれた。
私も尾谷になってから、広島、長崎の原爆関連施設を見ましたが、耳と目で感じると、二度と繰り返してはいけないと今でも思います。
鹿児島の知覧特攻平和会館にも行きました。
第二次世界大戦末期の沖縄戦において特攻という人類史上類のない作戦で、爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示しているところです。
直接戦争にかかわらなくても、戦争によって影響を受けた人はたくさんいます。
毎年、この時期にはそんな話を家族でします。
しかし、記憶は徐々に薄れていきます。
体験を聞けることも少なくなりました。
しかし、忘れてはいけない事です。



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戦争

みのりさん

じいやんさん

戦争私も戦後生まれですから
戦争はわかりませんが
長崎と広島の原発投下は
許せないですね?!

2015/08/11 17:57:23

そうですね。。

カサブランカさん

私も知覧に行きました。
家族を思い母を思いそして国の為。。
若い息子達が生活した宿舎を見そしてあの様な戦闘機に機上して散っていったのかと思うと悲痛な思いと怒りを感じました。
犬と遊ぶ若い戦闘員の写真が頭に焼き付いて胸が熱くなります。

2015/08/11 09:33:48

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