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世界一の金持ちの商人淀屋? 

2015年06月14日 外部ブログ記事
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淀屋(江戸時代の大坂で繁栄を極めた豪商)

全国の米相場の基準となる米市を設立し、大坂が「天下の台所」と呼ばれる商都へ発展に寄与
莫大な財産を築くが、武家社会にも影響する事となった事により、幕府より闕所処分にされた
闕所処分に先立ち、他地に暖簾分けした店を開き、後の世代に再び元の大坂の地で再興した
幕末になり討幕運動に身を投じ、財産を自ら朝廷に献上して幕を閉じた
NHK先人達の底力「知恵泉」より引用
















淀屋(ネットより引用)

初代淀屋常安の履歴
伏見城の造営、淀川の堤防改修において工事の采配を振り、高い土木工事技術を発揮した
秀吉より認められ、大坂に移り、「淀屋」と称し材木商を営んだ
中之島開拓を行い、江戸時代から現代まで続く経済の拠点を造った
関が原の戦いでは、徳川家康の本陣を無償で造り、先行投資により、家康からも認められた

二代目の淀屋言當の履歴
青物市を、京橋の淀屋屋敷で再開した
米価の安定のため米市を設立し、青物市、雑喉場市、米市を一手に握った
大坂商人も糸割符に加入出来る様働きかけ、認められ海外貿易も始める

淀屋と米市
江戸時代、米は経済の中心的な存在で、年貢米は藩の蔵屋敷に蓄えられ、米問屋を介して現金化された
米は諸藩の財政の根幹をなし、米価の安定は経済の安定としても重要であった
米の価格は、無秩序に決められ、価格は米の質や量などを正しく反映したものではなかった
淀屋は自身が拓いた中之島に米市を開き、中之島に渡るため淀屋橋を自費で土佐堀川へ架けた
四代目の重當の時代には、莫大な富を淀屋にもたらした
その後の米市は、堂島米市場に移され、幕府より公許され世界初の公設先物取引市場堂島米相場会所となった

淀屋廣當は、幕府の命により闕所処分
諸大名へ貸し付けていた金額は、現代の金額に換算しておよそ100兆円ありました
闕所の理由は、諸大名に対する莫大な金額の貸し付けが本当の理由です?

初代 牧田仁右衛門
淀屋で番頭をしていたが、暖簾分けした店を倉吉に開き、淀屋清兵衛を名乗った
牧田家は、8代目まで続き、明治時代まで多額の資産を有していました

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