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都わすれの「「ベガルタ応援日記」
6月12日
2015年06月12日
テーマ:テーマ無し
今日は6月12日・・あれから37年です そう忘れもしない昭和53年6月12日17時13分 宮城県沖地震がありました 私もまだ33歳・・息子が2年生で娘は1年生 その頃の私は車の運転免許証を、所持していなくてバイクに乗っていた(スクターじゃないやつ)仕事から帰りバイクを止めようとしたとき、電線がものすごく揺れていたが・・最初は子供たちが悪戯しているのかと・・しかしバイクを止めようとしたが、止められず倒れちゃって「地震だぁ・・」って気が付いた 玄関に近い路上・・何もできずに立ち尽くしていたら、スローモーションのように玄関の引き戸が一枚ずつ外に倒れて割れた 中には母と子供たちがいるはずで、「だいじょうぶ・・?」って声をかけたら、二人が泣きながら飛び出してきた 母が言ったらしいが掘りごたつの下に潜ったらしい いつも母が座っているところに戸棚が倒れ、南側はテレビが倒れていて6畳間だから、空いている空間はわずか たまたま母はいつものところに座ってなくて、難を逃れた 出窓にあった60センチの金魚の水槽は、水が三分の一になっていた それからすぐに会社に引き返したら、元栓を閉めてなかったプロパンボンベから、ガスが噴き出し・・中の重い書庫は1mくらい移動し、机の引き出しは全部飛び出していた 勿論ボンベの元栓だけ占めて自宅に引き返す 二階建ての家の通し柱が折れ、洋服ダンスから米櫃まで倒れなかったのは、冷蔵庫だけながら中のものは全部飛び出し、卵も米も味噌も・・・その頃の父はまだ仕事をしていたが、急いで帰宅途中に娘のことが心配だったらしい いつも遊んでいる友達の家にブロック塀があり、その下敷きなどなってないかと・・勿論そのブロック塀は倒れた その夜は9日に転んで大ケガをしたお隣に、家族で泊めてもらった 我ながらその後の決断は早かった 通し柱が折れては「全壊」でもう住めないと思ったから、翌朝起きるとすぐに近くの貸家が空いていたのを知っていて、すぐに大家さんのところに行って借りることにし、その日のうちに父の実家の手伝いをもらって引っ越しをした それからが大変でした・・地震で家を失くしたショックで、若い時から鬱があった父は・・二度と仕事をすることはなかった そう・・6日後の18日は私の誕生日なのですが、父は一番仲の良かった兄が亡くなった 若くして夫を亡くしたことも私を強くしていたのかと思うが、全壊の家を解体してもらい家の再建に取り掛かったが、すべてが私の細腕に・・5人家族の生活費と住宅金融公庫からの、借入金のローン返済は1年リスとラで退職するまで払い続け、残りは退職金から支払った その間父が亡くなり4人家族になったが、母を何年間病院へ送迎しただろう 泉区の病院に二度入院し仕事が終わってから、病院通いもあった 幸い息子の結婚式にころはまだ比較的元気だったが、翌年の娘の結婚式には「行かない」と行ったが、車いすで何とか式場に・・娘の結婚式から4か月後に母が亡くなり、焼く5年間・・私は一人と一匹の暮らしが続いた 2003年6月末で退職し、2005年2月に今の家で息子たちとの同居生活が始まる あの大震災がなければ私の細腕で建てた家が、今もあったはず・・だからできたら解体はしたくなかったが、床下浸水・大規模半壊で解体してもらった 地震で二度家を失ったが元気でいられるだけ、幸せなのかもしれないが・・そんな訳で今は車庫しかない元の我が家に、毎日通う私 宮城県沖地震は「周期的」らしく今年はその年に当たっているらしいが、あの震災後は不明なのだとか・・もう生きている間に地震は「まっぴら」です 絵文字を入れたり編集したら、「禁止タグあり」で保存できずです あの日は良い天気だったが今日は・・ ランキングが低迷しています・・よろしくお願い致します〜!ブログランキングに参加中ですので、下のバナーをクリックお願い致しますo(^▽^)oにほんブログ村 いつも応援ありがとうございます
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