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お大師さま(2) 

2015年06月04日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



大日如来の慈悲を信じ、悟りを求める心をもって仏と一体化できるよう努力をすれば、迷いから脱して真理を知る

この身このままで仏になる(即身成仏)
「成仏」とは文字どおり「仏に成る」ことです
人間は、仏と同じように悟りの境地に達する資質を内に秘めており、 修行によって肉身のまま即時に成仏することができると説いています

真理をそのまま人格化した法身・大日如来の教え(法身説法)
「顕教」も「密教」も元は同じ仏教ですから、教えそのものに相違はありません
一説では教説を表面的に捉えたのが「顕教」であり、教説の本質を捉えたのが「密教」であるとしています
「顕教」が、応化身すなわち歴史的人物である釈尊の説いた教えです
「密教」は、普遍的な真理である法を人格化した、大日如来の説法であるとしたところにあります
釈尊の教えを超え、釈尊の悟りを成り立たせる真理そのものを仏(法身)として、教えの主体にしました
 
身体・言葉・心を仏と一体化する(三密加持)
真言密教の修行を「三密」の行といい、修行が目指すものを「加持」といいます
生命現象はすべて身(身体)、口(言葉)、意(心)という三つのはたらきで成り立っていると説いています
自らの身体、言葉、心という三つのはたらきを、仏様の三密に合致させ、大日如来と一体になることです
手に仏の象徴である印を結び(身密)、口に仏の言葉である真言を唱え(口密)、心を仏の境地に置くこと(意密)で仏様と一体になる努力
 
あるがままに自らの心を知る(如実知自心)
悟りとは、自らの心をあるがままに知ることであると教えています
人は、「弱者を思いやることを忘れ、自らを戒めることもなく、耐え忍ぶことを知らず」怠惰に過ごす結果として悩み、迷っています
「如来」とは「あるがままに、あるが如く、 世の中を見る仏の世界から来る」仏様という意味です






真言宗(ネットより引用)

空海真言密教の確立
空海は、大宰府よりより、和泉国槇尾山寺に滞在し、和気氏の私寺であった高雄山寺(後の神護寺)に入った
空海の入京には、最澄の尽力や支援で、2人は10年程交流関係を持った
法華一乗を掲げる最澄と、密厳一乗を標榜する空海とは、徐々に対立するようになり訣別
修禅の道場として高野山を賜り、高野山の開創にする
太政官符により東寺を賜り、真言密教の道場とした

空海は、生命がけで真言密教の基盤の強化とその存続のために尽力
入滅までの3ケ月間は、金剛峯寺を定額寺とするなど、密度の濃い活動を行った
すべてをやり終えた後に入定、永遠の禅定に入ったとされている
真言宗では、宗祖空海の入定を死ではなく禅定に入っているとしている
空海は今も生き続けていると信じられ、「南無大師遍照金剛」の称呼によって宗祖への崇敬を確認します
山岳修行時代に遍歴した霊跡(四国等)は、霊場として残り、霊場巡りは大衆の信仰を集めています

空海入定に関する諸説
奥の院の維那(ゆいな)と呼ばれる仕侍僧が、衣服と二時の食事を給仕している
入定した空海は、四十九日を過ぎても容色に変化がなく髪や髭が伸び続けていたとされている
空海に関しては、史実よりも伝承のほうが多いです

真言宗の開祖空海の評価の変遷
空海は、江戸時代、お大師さんとして人々に親しまれていました
本居宣長などに「純正の日本に仏教に、外来の不純な思想を持ち込んだ」と批判された
明治時代に入ると、廃仏毀釈運動によって一時的にその評価が落ちた
1100年御遠忌は、大阪朝日新聞などの新聞社を巻き込んだ一大キャンペーンとなった
不純な思想を持ち込んだと批判された空海は、日本文化の形成に一役買った人物として再評価されるようになった
映画「空海」(空海役:北大路欣也)が制作され、全国的な盛り上がりとなる

書家としての空海
唐でも、能書家として知られ、篆書、隷書、楷書、行書、草書、飛白のすべての体をよくした
中国では五筆和尚といわれ、日本では入木道の祖と仰がれ、書流は大師流と称された不世出の能書家です

文人としての空海
当代一流の文人としても知られる
著作の一つ『文鏡秘府論』は詩作法・作文法の解説書です

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