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昭和18年生まれ、終戦時2歳でした。戦後70年、日本世相目撃史(その3)です。 

2015年05月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

  今、話題の、
戦後70年の日本社会はどうだったのか?!
自分なりの、日本世相変容目撃史
・・・昭和18(1943)年生まれでもあり、終戦の時は、2歳でした。
自分なりに目撃したことを、自分の反省・自分史兼ねて、書かせて頂きます。
                      (^^;)


(このブログの、5月9日号の続き、です。)

なお、
春日八郎は、私大好き歌手で、他にも、
昭和30年以降の♪赤いランプの終列車♪、♪居酒屋♪ も、
私の十八番に成った。

昭和31年に父親が亡くなり、その悲しみを癒やすように、
三波春夫の♪チャンチキおけさ♪を歌い、
村田英雄の♪王将♪、
昭和35年には、元祖御三家(橋幸夫・舟木一夫・西郷輝彦)の唄を歌い、


プロ野球では、昭和30年代、
長嶋茂雄・王貞治、稲尾和久・杉浦忠投手、
川上哲治監督が、印象に残っている。
私は、72歳の今、ロッテ球団のフアンであるが、
その前身の大毎オリオンズ、
選手の山内一弘辞められない止まらないカッパエビセン(笑)、
榎本喜八選手、
大毎球団のオーナー永田雅一大映社長所属の
俳優市川雷蔵、等々、想い出は尽きない。

を、
電気屋さんのテレビや、公園の街頭テレビや、兄の家の白黒テレビで観た。


また、
30年代、近所のテレビの有る家に、
夜、子ども集団が玄関を叩いて、強引に入り込み、
ドラマ「番頭はんと丁稚ドン」、「てなもんや三度笠」を観た。

昭和34年に、私は、京都の高校へ入り、
校内研究会で「警察官職務執行法」の問題点を話し合い、
昭和35(1960)年には、生徒総会で、
日米安保条約の問題点を激論し、授業ボイコットまでしたら、
就職間際の3年生が、就職に差し障るし、変なコトしんといてくれ!
と、抗議に来た。
京都は、長く続いた、蜷川虎三知事革新府政の影響で、
高校も革新的で、教職員も、その影響を受けていた。

1960(昭和35)年、国会周辺は、
安保反対デモで埋まり、
デモ規制の渦の中で、大学生の樺美智子さんが亡くなった。
私たち高校生、若者は、
政治問題、日本の未来に、強く関心を持っていた。

      (以後、次号以下に続けます。)

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