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厳(いつき)神社 大竹市 

2015年05月01日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

厳神社   大竹市


厳神社は広島県大竹市小方の亀居城公園付近の国道2号線から見える小高い丘にあります。


            亀居城
標高88メートルの山上に築かれた平山城で、築城当時は本丸、二の丸、三の丸、有の丸等の郭を備え、面積は10ヘクタールに及んだとされます。
現在は海から多少離れた位置にあるが、築城当時は海に面して港を備え、山陽道を城内に取り込む構造となっていました。


亀居城は慶長八年から築城を始め、五年後の
慶長十三年に完成しましたが豊臣恩顧の福島氏への徳川氏の圧力が非常に強くなり、
3年後の慶長十六年(1611)に破却されました


図中の妙現丸となっているのが厳神社です。


http://www.geocities.jp/itsukijinja/index.html
神社のホームページもあります


神社入り口  石段108段





 吽阿

荒々しい対です

















    字も荒々しいです 弘化三年(1846)


素晴らしい尾です













力強い後姿


         住吉神社


        住吉神社から南を見る


             宮島
   亀居城があった頃はすぐ下まで海だった


        
        城六兵衛君之碑
福島正則に続いて芸州藩主となった浅野長晟が地方支配を統括するために郡代役と郡単位に代官役を置きました。その当時の郡代役が城六兵衛君でした。城六兵衛君は特に勤王の志が厚かったのですが、密かに敵国である長州の正義をも慕っていました。
慶応2年(1866年)の6月に敵兵が四境に迫り、6月14日には玖波・大竹間が戦場となりました。兵火の災難に遭うものも多く、民衆は騒然となりました。城六兵衛君は自らの職責の重大さを痛感してこれを深く憂い歎き、何とか戦火を鎮めようと意を固めました。同月16日に長州軍と交渉するために単身で小舟に乗って小方沖へやってきましたが、戦火は激しくなるばかりで、城六兵衛君の誠意は通じることなく砲撃にあって惜しくも命果ててしまいました。
後にその心情を知った長州軍は、彼の責任強さと勇敢なる行動に感動し、この功績を後世に伝えようと木碑を建てて祀りました。木碑の右側にはこのことを示すように「丙寅 首秋 建之 長防士民中」と記されています。「丙寅」は慶応2年、「首秋」は7月のことです。木碑の老朽化に伴い、昭和51年12月に再建されて現在に至っています




          稲荷神社


             厳神社


伊邪那岐神(いざなぎのかみ)
伊邪那美神(いざなみのかみ)
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の三柱が
御祭神として祀られています。


         砲弾碑がありました。


       二基は同じ砲弾のようです
   メジャーを持ってなかったですが、
       800X250位かな


       砲弾には日露紀念の刻 
石碑は砲弾と関係無いみたいで石鳥居寄 進者氏名








             拝殿


           拝殿の奉納額





           日露戦争物


お神輿の後で見づらいですが、亀井城


             本殿




             再び宮島


             岩国方面




       いかにも郭です

城跡を表すのはこれだけ 妙見丸碑





社務所前 なんだか見慣れない動物がいます


いたち?てん?


社務所の裏手のなみだ橋
昔、なみだ橋を渡った向こうに火葬場があり、地域で亡くなられた人を遺族が涙を流しながら運んで行き来したことからこの名前が付けられたそうです。現在ではJR山陽本線を跨ぐ陸橋として残っています。




今は焼き場は無く、亀井城公園まで続いています

橋のすぐ下を列車が通ります






こんな面白い神社を今までみのがしていたとは不覚

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