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独りディナー
主婦になった、フルーティスト
2015年04月08日
テーマ:思い出すままに
大学時代、私は「室内楽」と呼ばれるアンサンブルに凝った時期がある。
その頃、学内では室内楽のオーディションがあって、それにパスすると演奏会に出られるというチャンスがあった。
私は、チャイコフスキーのピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出の為に」という曲を弾いて、晴れて演奏会に出演した。
二年生の時だった。
チェロが、当時の都立高校きっての名門と言われた、H高出身の伝説の知性派タナカ君。
ヴァイオリンは、よく廊下でヴァイオリンケースを広げて、人目も気にせず練習している、浪漫派マツムラ君。
一年上の二人に支えて貰って、中々のコンビではあった。
演奏時間が1時間もかかるという大曲で、オーディションの情報筋は、今までこの曲は長すぎて、誰もパスしたことが無いから、と諌めてくれたけれど、結果的には大曲に挑戦した若気の至りがかわれたのだろう。
チャイコフスキーらしい、抒情的な曲で、ピアニストへの追悼の曲なので、特にピアノのパートが技巧的に華やかな曲であった。
演奏が終わって楽屋に戻ると、フルート科の女の子がやってきた。
同じ学年だったので、顔は知っていたが、彼女は来るなり、
「貴女のピアノの音は、とっても綺麗で、到底忘れられない位だね・・。」とまず持ち上げ
「実は私、来年度のスイス政府給費留学生試験を受けるんだけど、試験の伴奏してくれない?」と言われた
基本的に、私は真面目人間なので、そんな風に担当直入に言われると、たちまち舞い上がってしまうタイプで、一も二も無く承諾した。
それから試験までの一年間くらい、彼女と一緒に色々なフルートの曲を勉強した。
勿論、吉田雅夫先生のクラスで。
彼女との出会いも、私には幸運だったと言えるだろう。
元々彼女は、高校はピアノ科出身だったそうで、基本的になんでもピアノで弾いてしまう。
今でも覚えているのは、チェロの巨匠、カザルスが弾いているバッハのレコードのエピソード。
彼女は、レコードを聴く前に、あらかじめ楽譜を見ながらピアノで弾いてみて
曲を自分なりに解釈して、その上でカザルスの演奏を聴いたそうだ。
フルートは呼吸楽器なので、長時間練習できない分、ピアノで音楽を研究するのだと言っていた。
そして彼女は、翌年、スイスに旅立っていった。
チューリッヒに留学していたので、数年後私がウィーンへ留学していた時に、一度訪ねていった事があった。
丁度、日本から知人が、金製のフルートの上半分の部分を、運んできてくれたところに出会わせた。
彼女は嬉しそうに、従来の銀製の下半分にはめ込んで、「ツートンカラーだ!」と言っていた。
今でも、世の中が豊かになって、オール金製のフルートを持っている学生などを見ると、いつも「ツートンカラー」を思い出す。
その後、暫く消息が途絶えていたが、或るとき新聞で、日本人フルート奏者の夫婦の演奏会の記事が載っていて、その夫人が彼女だった。
そのまま、数十年。
或る夜、初台のオペラシティに、演奏会を聴きに行った時。
たしか、私の大好きなピアニスト、ラドゥ・ルプーがモーツァルトのピアノ協奏曲を弾き振りする、という演奏会だった。
オーケストラは、イギリス室内管弦楽団だったと思う。
ホールへ向かう長いエレベーターで、すぐ前に乗っていた人が、驚いたことに大学時代の同級生だった。
しかも彼女は、「ミチエちゃんが来てるのよ」と、懐かしいフルートの友人の名前を言った。
聞いてみると、当日のオケのフルート奏者が彼女の旦那様だという。
訳も分からず、友人とは別れると、会場の受付付近に、当の彼女が人待ち顔で立っていた。
私を見て驚いたけれど、まあ日本のコンサート会場では、顔見知りの人に出会う偶然は、当然予期していただろう。
立ち話の様子では、10代の子供が居て、現在は余り演奏はしていないと言っていた。
あれ程にも情熱的に、沢山の置き土産を私に残してくれた、フルーティストの彼女も、結婚して子育てするには、内助の功的な立場に納まるのか・・。
日本では、封建的な考えが根強いからと、ある意味諦めに近い考えを持っていた私は、西洋と言われるヨーロッパに暮らしていても、ジェンダー問題では大差がなさそうな事に、しばらくの間ショックを受けていた。
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北斎は、好きです
吾喰楽さん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
日本の芸能に、どんどんはまっていらっしゃるご様子、楽しそうですね。
因みに、北斎の赤富士の写真は、カードに掲載されていたのでしょうか・・。
2015/04/08 15:21:48
達観したいのですが・・。
彩々さん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
あの友達は、何事にも情熱的だから、旦那さまにもお子さんにも情熱を傾けているのでしょうね。
一緒に勉強した仲間としては、女性の立場の難しさをつい考えてしまいますが、本人が幸せなら他人がとやかく言う事はありませんね。
彩々さんの様に、達観しなくては・・
2015/04/08 15:17:52
縁の無い世界ですが
おはようございます。
シシーマニアさんの記憶力の良さと
巧みな文章に、その当時のシーンが見えてくる
程、伝わります。
アカデミックなお話にはなかなかついて
いけませんが、同じ世代でも全く違う
世界に住んでおられた事に、今さらながら
憧れます。
2015/04/08 08:46:21