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独りディナー
肝っ玉母さん、オタワを行く
2015年03月30日
テーマ:カナダ
私達のオタワ生活は、一年間という期限付きであったので、私はその間は長い旅行と受け取る事にした。
何かをしようと考えると、一年間はあっという間に過ぎるけれど、旅行で滞在するとすれば、一年間は長い。
最初の半年ほどは、私は車を使わず(カナダでは、改めて現地の免許を取る必要があった)歩いたり、バスに乗って行動した。
オタワ大学には音楽学部があったので、ピアノの主任教授セヴィーラ氏には既に紹介してもらっていた。
幸運なことに、我が家のすぐ前にある停留所のバスは、オタワ大のすぐ近くにある、巨大なショッピングセンターが終点であった。
このバスが無かったら、私の生活圏は随分狭まったことだろう。
私は、オタワに着いてすぐ教授に電話をして、取りあえず会いに行った。
自分のなかで、これから教授と定期的な繋がりをつけるために、策をめぐらせた。
そして、無い知恵を絞っった挙句、知人が編集長をしている音楽雑誌に原稿を送ろう、という見切り発車に決めた。
セヴィーラ教授に、オタワの音楽情報を雑誌に書きたいと思っているので、構わなければ、同じ人のレッスンを毎週見学させて欲しい、と言ってみた。
彼は、日本の音楽大学に客員教授として滞在経験もあったし、快く承諾してくれた。
更に、毎週音楽史の講義もしているのだけれど、そっちにも顔出さないかい、と誘ってもくれた。
これでまず、週に一度は、出かける場所が確保できたわけだ。
そして欲張りな私は、家で一人ピアノを弾きながら、「こんな風に、日本に居てもできる過ごし方は、現在はやめよう!」と堅く決心したのだった。
住まいから歩いて20分くらいの処に、大きなスーパーマーケットがあって、その向かいには「コミュニティ・センター」と書かれた建物があった。
まず私は、そこを訪ねてみた。
何故か私は、そこで外国人の為に英会話の教室があるだろうと、踏んだのだ。
何とかオタワと接点を持ちたい。
外国人同士の付き合いがあれば、情報も得られるだろうし、日本人にも出会えるかも知れない。
詳しい事はわからないけれど、当時のカナダは移民の受け入れに寛大だった様子で、多分そういった人たちの為に、英語教室が無料で開催されていたのだと思う。
私は更に、たった一年の滞在なのに、初級のクラスに編入させられてはたまらないと思い、自分なりに言いたいことを準備して、精一杯自己紹介をした結果、最上級のクラスに振り分けられた。
これは、作戦として大成功だった。
其処のクラスは、既に長く居住しているフランス人と、フランス語系スイス人、スペイン人、それに五年位滞在しているというドイツ人が居て、そこに私が仲間入りをした。
オタワは英仏バイリンガル都市なので、フランス語が堪能な人達にとっては、フランス語圏内で生活している限り、英語ができなくても余り不自由はないらしかった。
彼らの英語は私程度だったけれど、オタワの生活には詳しかったので、教えて貰える事がたくさんあった。
そして、最初の自己紹介で、ドイツ人のパオラが、「自分の生まれたのは、オーストリアのウィーンです」と言ったのは、何かの縁だったろう。
幸い家も近かったし、パオラのお蔭で、それからの一年間がどれだけ楽しいものになったか。
二度目に会った日に彼女は、「Welcome To Otawa という名前の、外国婦人と海外在住経験のある婦人達の、交流クラブがあるんだけど。」と親しげに話しかけてくれた。
「12月にシャトー・ローリエで、クリスマスパーティがあるのよ。良かったら、一緒に行かない?」と私を誘ってくれたのは、当然ウィーン繋がりで親しみを感じてくれたからだろう。
シャトー・ローリエとは、オタワの中心街にある、名前通りお城の様な美しさで人目をひく、高級ホテルであった。
場所を聞いて私は、二つ返事で参加することに決め、そのクラブに入会する為、直接電話してみた。
これは考えてみれば、まずパオラに紹介してもらうのが当然だったのだろう。
電話を受けた人は突然の事で驚いていた様子だったが、色々質問してきた結果、入会は成立。
どうやら聞いてみると、その会の実態は、外交官夫人達が中心になっているクラブだったらしい。
クリスマスパーティは、それは豪奢な集まりで、殆どの人は既に顔見知りの様子であった。
食事の時に私の隣に座った女性は、インテリ風ながら気さくな人で、スェーデンから着任したばかりだと言っていた。
後から送られてきた名簿によれば、ご主人はスェーデン大使閣下だった。
まあ、名簿に閣下といった肩書きをつける様な会であったのだ。
日本人らしき人は、大きな丸テーブルの私から見て正面に座っている人だけであった。
その人は日本大使館のお偉方の奥様だったらしく、どうやらあのパーティに参加するには、それなりの序列があるらしかった。
道理で、不思議そうな顔で、私を眺めてらしたなあ・・。
パオラは更に、スノーシューイングの会にも誘ってくれた。
それは、二週間に一度位だったろうか。
毎回、ホステスとなった大使夫人の住む公邸が、開催場所だった。
お蔭で私は、色々な国の大使公邸を訪れた訳で、それは中々得難い機会だったと思う。
それは、集まった10数名の婦人たちが、「スノー・シュー」という、日本のかんじきの様なものを履いて、雪の中を歩き回る、という親睦会であった。
公邸に戻ると、沢山の飲み物と軽食が用意されていて、豪華なお部屋でティーパーティが始まるのだ。
何しろ、雪の上を歩くのが目的だから、皆服装はラフなもので、そのせいかパーティも気軽な雰囲気につつまれていた。
たまたま、パオラのご主人が外務省勤務ではなかったので、私はこだわらずに同行したけれど、その会は更に閉鎖的な大使館関係者の集まりだったらしい。
日本人は他に、誰も居なかったなあ。
今は知らないけれど、当時のオタワ在留邦人は、我が家の様に現地の機関に勤務している人以外は、大体が大使館関係者であった。
外から見ただけの印象だが、其処では日本人社会がきちんと出来上がっている様であった。
時間が経つうちに、日本人との交流も少しずつできたけれど、序列を知らずにずかずかと入り込んだ新参者は、ここでもお騒がせだったに違いない。
でも、海外に行くと人格の変わる肝っ玉母さんは、期限付きのオタワ滞在を充分味わおうと、むしろ必死だったような気もする。
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反省!の気分でした
パトラッシュ師匠、
温かいお言葉ありがとうございます。
書いている時は、楽しく思い出しながら書いていましたが、気持ちの中に、師匠におもねる様な処があったので・・。
余りに、高貴な演奏を耳にしたので、反省の気持ちが増幅しました。
文が卑しいかどうか、自分ではわかりませんので、師匠のお言葉はとても嬉しかったです。
2015/03/31 10:10:17
恥じることなどありません
読者を楽しくさせられれば、それは、作者も楽しいことです。
楽しい文をと、企むのは、卑しいことでありません。
文が卑しいかどうか・・・
だけの問題です。
このブログの文は、決して卑しくはありません。
2015/03/31 07:31:04
楽しい文章を、と心がけました
師匠、コメントありがとうございました。
今日は、楽しい文章を書こうと企んだ、ちょっと卑しい心がけでした。
今、ユーチューブで、好きなピアニストの崇高な演奏聴きながら、ちょっと恥じています。
2015/03/30 21:39:52
楽しい文です
「海外に行くと人格が変わる」
わかります。
ほんのかすかな経験しかないのですが、私だって、海外旅行から帰った当座は、yes noをはっきり言う癖がついていました。
何かの依頼を断る時に、noと一声かましたりして・・・
いわんや、一年間・・・
現地順応化は、血の一滴にまで、及んでしまうのではないでしょうか。(笑)
2015/03/30 19:15:27