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第85回 昭和37年春 高校2年生に 

2015年03月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


高校1年年の間、授業中は聞き間違えや勘違いに気を付けたので、テストでは欠点を取ることなく無事進級。
放課後の週1回のJRCの活動はのんびりしていて気楽だったし、卓球部の練習では、ラリーらしきが出来るようになりよかった。
土曜は、近くのしずちゃんと踊りの稽古やマージャンなどをして愉快に過ごし、進学のための英語塾は休むことにする。
日曜は、教会の高校生会にほとんど休む事なく参加し、楽しかった。
いよいよ2年生。
クラス名簿の名前を探し教室に入ると、小・中学の同じ学校だった人が、50人中半数位いた。
その中の半数の人が、親しみをこめて声を掛けてくれたが、小学の頃着せ替え人形をして遊んだり、嫌いと言う給食ミルクを貰った友達だ。
やわらかい雰囲気が流れているのでホッとした気分になり、女子クラスに変わってよかったと思う。
そんな時、生徒会の委員を決めることになり、推薦された人に挙手をして、私が選ばれてしまった。
1年の時、委員を見ていたが、あまり忙しそうではなかったし、嫌ではなかったので引き受けクラスに馴染もうとした。
「料理も和裁も洋裁も下手じゃから、習いとうて男女クラスから替わってきたんよ。」と公言していたが、家庭科の授業は初歩からなので安心だ。
姉は、和裁・洋裁などとても丁寧に仕上げ上手で、先生に褒められていたが、妹の私は下手だが、先生達も歓迎して下さるのが分かり嬉しい。
おんちだからこそ、高校生会や音楽の授業で歌っていると、少しはうまくなるかと思え、楽しく歌えるようになった。
音楽の先生も教会のコーラスの先生も、「おんちはいない。正しい発声をすれば大丈夫。」と言っていたが、私は不確かでもあまり気にならなくなった。
瞳ちゃんとは同じ組ではないが、1年の時より登下校が一緒やおしゃべりが増え、以前より親しくなる。
2年生に慣れた頃、家庭科の増野先生は購買部の担当も兼ねていて、「購買部員になって下さい。」と頼まれた。
男女コースの嬉子ちゃんや、ひろさんも一緒だし、販売する事にはアルバイトで慣れていたので引き受けた。
購買部は朝始業前と昼食後、時々放課後開くので忙しい。
卓球部の活動は、上手になり強くなって試合に出るための練習になり負担になってきたし、忙しいので退部することにした。
ペンホルダーラケットでフォアハンドの素振り練習後、ラリーがどうにか出来るようになったので充分だ。
日曜日に高校生会の後で、卓球が以前より楽しく出来るようになり満足した。
後になって分かったのだが、次の段階のバックハンドの練習はしておらず、今だにバックハンドは下手なので残念だが仕方なかったと納得。

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