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五社八幡宮〜光明坊 尾道市生口島(いくちじま) 

2015年03月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

  
五社八幡宮〜光明坊 生口島
   
 久々に暖かい日曜日に生口島まで行きました。
ノープランで島を


一周し目に付いた神社を巡ってきました。


小高い丘の上の小さな神社
                                                    
 
海が近く心地よいです。


拝殿 本殿 


  
    
                               
五社八幡宮という神社でした


芝をひいてあり船も見えとてもいい空間でした


 
 
       光明坊
天平2年聖武天皇の勅願により行基菩薩が開基建立されたと伝えられ、背後の仙容山の丘をめぐって堂塔が建ち並び、平安時代の末に至り、後白河上皇より生口南の庄を寺領として寄進され、この草深い島の里には希にみる繁栄を続けておりまして、里の名も御寺(みてら)と呼ばれるに至りました。









大きな夏みかん?


夏みかんが道に落ちています


光明坊 門








本堂


           
4基の五輪塔 


如念尼公は後白河法皇の息女ですが、深く念仏信仰に帰依せられ、安住の世界をこの上皇ゆかりの生口島光明坊に求められ、はるばる松虫、鈴虫の姉妹を伴い、下って御来島、念仏三昧の生涯をとげられました。
                                                                          
松虫、鈴虫は今出川左大臣の息女で姉は19才、妹は17才、共に容色優れて麗しく、後鳥羽上皇に召され,殊のほか寵愛されましたが、法然上人の弟子住蓮・安楽の六時礼賛の美声に感激し、密かに宮中を出て仏門に入り、名も妙智、妙貞と改め、朝廷の追補を逃れ如念尼公の袖にすがり当地へ同行したといわれております。  光明坊HPより
                                         



 







十三重石塔婆
国重要文化財 昭和2年4月25日指定
西大寺の興正菩薩の弟子忍性の建立と伝えられ、基壇に「釈迦如来遺法二千二百四十三年奉造立之、永仁二年甲午月日」の銘があり仏法地を払う末法の到来をおそれて造立されたと思われる。軒は厚く、力強い反りを示し初層四面の仏の種子は薬研彫りで雄建な鎌倉時代の代表的な作品である。


海沿いを走る

続く

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