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兵庫県南部の島

ナビのオフ会が終わって 

2015年02月21日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

ナビのオフ会が終わってから、中学校時代までいたこの周辺を回りました。
悲田院の地名のあるところ、湧水のある地蔵堂、庚申さん、そして、四天王寺南大門から参拝。
南大門のある地名は「大道」。ここで外国からきた使節が大和の都を目指しての出発点。大道はその官道だった。
21日はお大師さんの日で、参詣者も多く、野外店舗がびっしり並んでいました。
この日は拝観料なしで、中心伽藍に入れました。
金堂も人でいっぱい、この壁画は昭和30年初め頃に、中村岳陵が描かれた釈迦如来の生涯の壁画です。50年の線香の煙でくすんでいました。
ついで五重塔に登りました。西の位置にある鳥居からの落日を見ると、西方浄土が大阪湾から淡路島にあるように昔の人は思ったことがわかります。

亀の池も見て、英霊堂も見て、西暦500年頃にできていた日本で一番古い建設会社の「金剛組」の前に出て、天王寺駅へ戻りました。

ここで残念なことをしたことを思い出しました。
せっかく四天王寺へ行ったのに六時堂の賓頭盧さんの頭をなでなかったこと。痴呆防止の祈りを込めて賓頭盧さんの触らなかったから、ボケが進行するかも・・・。



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こんばんは♪

さん

あれからそんな散策をしていたのですね♪

昨日はお疲れ様でした。
横に座らせていただいていた涼華です。

赤ワインを飲む時のqqqqqqさんの笑顔、本当に美味しそうでしたよ(●^o^●)

競馬にも通じていらっしゃるなんて、スッゴく楽しそう♪

お涼は競馬の事、全然知らないのですが、当たるのだったら一回挑戦してみようかな?

またオフ会がありましたら、お顔合わせしたいですね♪

昨日はありがとうございました(^^)

2015/02/22 20:32:50

地名の伝承

qqqqqqさん

四天王寺の東南の地名に「河堀町」があります。
四天王寺は上町台地にあり、徳川と豊臣の戦争がこの地域であったときより以前は、大和から流れてきていた大和川はこの上町台地に沿って流路を北にして、淀川と一緒に台地の北端(大坂城の北)から大阪湾に流れ込んでいました。
この台地を切って、大和川を大阪湾に直接流そうとして、掘り始めた所が「河堀口」「河堀町」と言われたと伝承されていますが?
堺市と大阪市の間に流路を変更したのは、宝永年代と言われている。

2015/02/22 10:45:02

懐かしい

さん

神田川、思い出深い懐かしい歌です。

2015/02/21 22:58:55

オフ会

さん

本当に残念でした四天王寺でしたら、私が学生頃に下宿していた所でした、懐かしく思いました当時の流行り歌の「神田川」での下駄を履いてカラ〜コロンと音を出しながら境内を歩いていたのを懐かしく想い出しました。

2015/02/21 22:27:49

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