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日本の三大悪女? 

2015年02月21日 外部ブログ記事
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日野富子(室町幕府8代将軍足利義政の正室、9代将軍足利義尚の母)

日本三大悪女⇒北条政子、日野冨子、(淀殿又は春日の局)
男社会で活躍する女性は、悪女扱いされることが多く、政治手腕に優れた、一人の政治家だったのかも?
NHK「歴史秘話」より












日野富子(ネットより引用)

日野富子生誕と結婚
室町幕府の足利将軍家と縁戚関係を持っていた日野家の出身で、義政の生母日野重子は富子の大叔母です
富子、義政の正室となり、第1子が生まれたが、直に子供を亡くす
義政の乳母、今参局が呪いを掛けたせいだとし、彼女を琵琶湖沖島に流罪(自殺)、義政の側室4人も追放した

日野富子と応仁の乱
足利義政は実弟の名を足利義視と改めさせ、細川勝元を将軍代理として、足利義視を将軍後継者とした
富子は義尚を出産、富子は義尚の擁立を目論み、その為義尚の後見である山名宗全が義視と対立した
幕府の実力者である勝元と宗全の対立や斯波氏、畠山氏の家督相続問題などで応仁の乱が勃発した

日野富子の息子将軍へ(応仁の乱後)
義政が隠居し、息子義尚が9代将軍に就任すると、富子が実質的な幕府の指導者となった
「御台一天御計い」するといわれた富子に進物を届ける人々の行列は2町にも達しました
京都七口に関所を設置し関銭を徴集、その資金を富子は懐に入れた
義尚は成長すると富子を疎んじ始め、富子をおいて伊勢貞宗邸に移転し酒色に溺れた
義尚が25歳の若さで没したので、自分の妹の子足利義材を第10第将軍にする
第10代将軍義材も富子と敵対したたので、足利義澄を11代将軍に就けた(明応の政変)

日野富子の逸話
巨万の富を築いた「悪女」「守銭奴」と評される事も多いです
遺産は70億円に達した
義尚の急死、義政の病没でも、富子は「御台」として幕府内部に大きな影響を与えてきた
明応の政変における将軍追放も「御台」富子の活躍大です

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