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雑感日記

私の 『kawasaki Ninja H2/H2R 』 開発物語 

2015年02月17日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



★Kawasaki Ninja H2/R  と UL TRAの開発に携わったハブメンバーたちに配られたカードであるらしい。
それを私にくれた山田浩平くんがこのようにFacebookで伝えてきた。
 
 
 
『10年後、20年後に開発の苦労を懐かしく思いだしてくれると良い』と書かれているし、
その『最後の1枚』 を私に頂いたということは、このマシンについて『懐かしい想い出』を山田くんと共有しているということかも知れない。
そんな 『300PS CLUB 』のLife Memberの仲間にも入れて頂いたので、私なりにこのマシンについての想い出を纏めてみたい。
 
 
★2010−4−12にこんなブログをアップしている。
Kawasakiは ”Extreme, Un-compromising, Lime Green” 
http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/620cd4bdf69dad79ad879348b0c50854
その抜粋である。
 川崎重工業の二輪部門の名称が4月1日から『モーターサイクル&エンジンカンパニー』に改称されたようである。二輪車新聞の記事の人事面に 『技術本部長、理事山田浩平』 の名前を見つけて、これは、『ひょっとしたら、希望が持てるかも』と思って今ホンネで書いている。
・・・・・・『胡蝶』さん。    これが山田浩平君のひょこむでのハンドルネームである。その『ひょこむ』のプロフィールに自ら書いた一言メッセージが、『 Kawasakiは、”Extreme,Un-compromising, Lime Green”』 なのである。 ・・・・・・そのご自身の信念どおりに、一筋にやって欲しい。・・・・・・・・OBとしては、バイク雑誌などで、カワサキの旧い話で賑わうのも嬉しいのですが、やはり、今の時代にあう『新しいカワサキのヒット商品を』と願っています。
 などと記している。
彼が技術本部長になると決まった時、彼から1通の手紙を頂いた。
在任中に、もう一度 『Kawasaki らしい商品の開発をやる』との決意表明だったのである。
 
★それから約2年経って、 大槻さんと明石工場を訪ね、高田廣さんと山田浩平さんと、延々6時間話をしている。
その時書いたブログである。
『Kawasaki ブランド』 http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/12578b18d81081350a15e3e8f354ddfe などとなっているが、
その時 山田浩平くんからは、開発中の Ninja H2 について、 300馬力、300キロを目指していると熱く語られたのである。
 
山田浩平くん、前述の『ひょこむ』のトモダチだし、 NPO The Good Times の早い時期からの会員さん、仲間なのである。
今年、1月18日の新年会に出席してくれて、冒頭のカードを私に渡してくれたのである。
 
何台の生産台数になるのか?  これは確かにムツカシイ。
然し、『カワサキのイメージ』 という意味では、久しく強烈なパンチのあるマシンからは遠ざかっていたので、このNinja H2 はまさに”Extreme, Un-compromising, Lime Green” だったのは間違いない。
今回のファンの熱狂的な対応を見ても、今の発売前の時点ですでに、『大成功』と言っていい。
 
 
 
 
Kawasaki Ninja H2 フェアの会場には、『開発者たち』としてこんなに沢山の開発に関わった人たちが紹介されている。
この動画をFacebook にこのように紹介している。
「Kawasaki Ninja H2/R の開発者たち」ということで会場には沢山の名前が並んでいた。でも、このマシンの開発は、この人山田浩平くんがいなかったら世に出ていない。このマシンは彼が、彼の一念が創ったのである。このマシンの開発に携わったメンバーたちにLife Memberとしてこんなカードが創られている。そんなメンバーカードの最後の1枚を、今年1月18日に山田浩平くんが私に渡してくれた。「なんだこんなカード」と一瞬思ったのだが、その由来を聞いて今は大事に持っている。私は勿論、このマシンの開発など一切関係はしていない。300PS CLUB のLife Member の一員にして頂いて、光栄である。

 
Ninja 30Years Nijja フェアに行かれた方で、さりげなく置かれていたこの本に気づかれた方は少ないのでは。高田副社長の挨拶文で始まってはいるが、この本の執筆者は、山田浩平くんと石川薫くんのはずである。30年前のNinja900は、実質のエンジン担当者として、今回のH2は技術本部長として現役最後の置き土産として、自らの発想を部下たちと分かち合って創り上げた、山田浩平くん。30年Ninjaと関わった。未だ若い血気盛んなころ『Father of Ninja』の名刺を何枚か創って配ったという。その名刺の1枚を貰ったのが、Z1の本を書きあげたあのMicky Hesse だというのもオモシロイ。...石川くんはこの本の執筆のために、今回アメリカまで渡っている。そんな話を聞いてはいたので、いつ書きあげるのかな、と思っていたらもう出来ていたのである。こんな話を知っているのも、カワサキファン達のビックリするような情報網があるからである。
 
 
 
 
 
今回のわれわれの仲間での、このNinja H2フェアの最終日、
 
昨年は、こんな感じで、山田浩平くんも、現役の諸君も、カワサキファン達と一緒だったのだが、1年経ってホントに花開いたのである。
 
 

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