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将軍を出していない御三家 

2015年02月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



御三家の大名徳川義直

徳川義直⇒徳川家康の九男、尾張藩の初代藩主












徳川義直(ネットより引用)

徳川義直の履歴
父は徳川家康、母は家康の側室・相応院
関ヶ原の戦いの後、甲斐25万石の甲府藩主となる
兄の松平忠吉を継いで、尾張国清洲藩主になり、名古屋に天下普請の城郭名古屋城を築く
灌漑用水の整備、新田開発などを行なって、米の増産に努めた
学問を好み、儒教を奨励し、孔子堂の建立や城内の尾張東照宮の建築を進めた
歴史書『類聚日本紀』を著している
江戸藩邸で死去、享年51歳、子の光義が光友に改名して跡を継ぐ

徳川義直の人物
尊皇思想で、これは後々の尾張藩の行政に大きな影響を与えた
家康の実子としてのプライドが高く、たびたび甥の3代将軍徳川家光と衝突した
儒教を篤く信じており、自ら将軍職を引き受けるという考えはなかった
結果的に、尾張家から将軍を出すことはなかった
東海地方の発展の基礎を築いた日本有数の名君です
新陰流剣術を学び、新陰流第4世宗家

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