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徳川頼宣「イスラム国」? 

2015年02月12日 外部ブログ記事
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徳川御三家の文化人徳川頼宣

徳川頼宣 ⇒徳川家康の十男、紀州氏徳川家の祖、紀伊国和歌山藩の藩主










徳川頼宣(ネットより引用)

徳川頼宣の履歴
2歳で、水戸藩20万石を与えら、水戸には入らず、父家康の許で育てられる
肥後熊本藩主加藤清正の五女と婚約、駿府藩50万石に転封される
大坂冬の陣で初陣を飾り、大坂夏の陣で活躍
紀伊国和歌山55万石に転封、紀州徳川家の家祖となる
将軍家綱が幼少で、徳川一族の長老となり、幕政を司る幕閣には煙たい存在
紀州藩主としての治世は50年間位努めました

徳川頼宣の逸話(転封)
父・家康の晩年、頼宣を最後まで手元に置き自ら育てた
大坂冬の陣の初陣の際、大御所家康自らが鎧初めを行い、特別な扱いを受けた
駿河から紀州に転封となったのは、二代将軍の秀忠が自身の権威を見せつけるためです
「家康の子、すなわち自分の兄弟」頼宣ですら、自分は転封させることができる事の誇示です
諸大名は、親藩譜代外様を問わず、全ては我が権威の下である事を、天下に示すためでした
頼宣は様斬(ためしぎり)を好み、自ら囚人を試し斬りしました

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