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廿日市招魂社 

2015年02月07日 外部ブログ記事
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        西国街道一里塚
西国街道(旧山陽道)は、江戸時代の幕藩体制の確立による公道の整備によってできた街道でした。


江戸時代の主要街道のひとつで、五街道に次いで重要性の高いものでした。
大阪から長崎に通じる中国路を連ねる長距離の街道でこの間に51の宿駅があり、そのひとつが廿日市の宿駅でした。




西に進むと街道松が一本残されています。


西国街道が廿日市で整備されたのは、寛永十年(1633)頃のこと。
道の両側にはたくさんの松の並木が植えられ、街道に風情を添え、旅人を楽しませました。


松並木には、夏は緑陰の下で休息、冬は風雪を防ぐ役割もありました。








道がカクカクと曲がった遠見遮眼(とおみしゃがん)など、廿日市界隈には江戸の昔をしのぶことのできる町並みが残っています。


        廿日市招魂社
明治18年(1885)、西幸された明治天皇は8月1日、厳島から地御前に上陸された。その後、人力車で廿日市に入られ岩尾澤太郎邸でお休みになり、広島へ向かわれた。佐伯好郎少年が出仕されたのもこのときである。
その場所が、昭和14年(1939)に落成した招魂社である。明治天皇行幸の際の遺蹟が残り、かつては地域で最も神聖な場所とされ、清掃と敬礼を欠かさなかったという。




 
 鳥居

拝殿





昭和十四年 奉納
















      明治天皇御用品奉置殿


奉安殿とは
御真影(天皇、皇后の写真)を保管する建物を奉安殿と言います


「明治天皇御用品奉置殿」は、元・佐伯郡役所にあった奉安庫を広島県より譲り受け、天皇関連の御遺物を安置し遺跡を記念するために昭和十四年この地に建てたものです。

GHQの神道指令のために奉安庫は廃止となり多くの奉安庫は解体されましたが、元佐伯郡役所奉安庫は明治天皇御用品奉置殿となっていたために解体は免れたよういです。
 


                   
             
              


 




明治十八年(1885)、西幸された明治天皇は8月1日、厳島から地御前に上陸された。その後、人力車で廿日市に入られ岩尾澤太郎邸でお休みになり、広島へ向かわれました。
その場所が、昭和十四年(1939)に落成した招魂社です。
かつては地域で最も神聖な場所とされ、清掃と敬礼を欠かさなかったといわれます。。


美しい文様の明治天皇御用品奉置殿


恐らく県内で奉置殿があるのはここだけでしょう



奉置殿前の小さな石碑には皇太子殿下御播種松
大正十五(1926)年5 月」と刻まれています。
昭和天皇もここを訪れています。




       明治天皇御駐輦遺跡

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