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日本で一番有名な女性? 

2015年02月05日 外部ブログ記事
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『あげまん』女性、崇源院

崇源院⇒一般には江(ごう)、小督 (おごう)、江与(えよ)
浅井長政の三女、長姉の淀殿(茶々)は豊臣秀吉側室、次姉・常高院(初)は京極高次正室
再婚で秀吉の甥・豊臣秀勝、3度目の婚姻相手が2代将軍となる徳川秀忠です






崇源院(ネットより画像引用)

崇源院1回目の結婚(佐治一成)
浅井長政の三女として生まれ、母は尾張国の織田信秀の娘・市
浅井長政が、市の兄織田信長と対立し、長政は敗れ長政自害し浅井氏は滅亡する
江は、母の市や姉の茶々、初とともに救出されました
母の市は、柴田勝家と再婚し三姉妹も越前へ移りました
勝家は、羽柴秀吉との戦いで破れ、市は勝家共々自害、江ら三姉妹は秀吉により保護されました
江は秀吉の意向により、従兄にあたる佐治一成と結婚しました

崇源院2回目の結婚(羽柴秀勝)
秀吉の実の甥、豊臣秀勝と結婚
同時期に、茶々は秀吉の側室、初は京極高次正室へ嫁ぐ
夫豊臣秀勝は、朝鮮出兵で、朝鮮国の巨済島において病死

崇源院3回目の結婚(徳川秀忠)と晩年
徳川家康の嗣子、2代将軍徳川秀忠に再嫁
徳川秀忠との間では、千姫を頭に家光・忠長など2男5女を儲けた
大坂の陣では豊臣家が滅亡して姉の淀殿を失う
死後は長男・家光によって増上寺に埋葬されました

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