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金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困る 

2015年01月31日 外部ブログ記事
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江戸の文化人山岡鉄舟「幕末の三舟(山岡。勝、高橋)」

山岡鉄舟 ⇒幕臣、政治家、剣・禅・書の達人
高橋 舟  ⇒武士・幕臣














幕末の三舟(ネットより引用)

山岡鉄舟幕臣時代
講武所に入り、千葉周作らに剣術、山岡静山に忍心流槍術を学ぶ
禅は、長徳寺の住職である順翁について学ぶ

西郷・山岡会見(駿府城で)
江戸無血開城を決した勝海舟と西郷隆盛の会談に先立ち、駿府で西郷と面会する
駿府で西郷に会った鉄舟は、徳川慶喜の意向を述べ、朝廷に取り計らうよう頼む
西郷の4つの条件提示承諾(江戸城を明け渡す、城中の兵を向島に移す、兵器・軍艦を引き渡す)
この会談で、江戸無血開城が概ね決定した

山岡明治鉄舟維新後
静岡藩藩政補翼となり、清水次郎長と意気投合、廃藩置県で、静岡県権大参事、茨城県参事、伊万里県権令を歴任
西郷の依頼で、宮中に出仕し、侍従として明治天皇に仕える
西郷との約束どおり致仕し、功績により子爵に叙される

晩年の山岡鉄舟
剣⇒精神修養を重んじる鉄舟の剣道観は近代剣道の理念に影響を与た
禅⇒禅道の弟子に三遊亭圓朝らがいる
書⇒人から頼まれれば書いたので各地で鉄舟の書が散見される

山岡鉄舟逸話
西郷隆盛をして「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困る」と賞賛させた
明治天皇の京都行幸の際、山本海苔を利用し、山本海苔店の商品のいくつかは鉄舟の揮毫です
木村屋のあんパンを好んで食べ、木村屋の看板も鉄舟の揮毫です

高橋泥舟の幕臣時代
勝海舟が、徳川家処分の交渉のため官軍の西郷隆盛への使者としてまず選んだのは泥舟でした
泥舟は、慶喜から親身に頼られる存在で、主君の側を離れることができなかった
代わりに義弟の山岡鉄舟を推薦し、鉄舟が見事にこの大役を果たした
廃藩置県後は職を辞して東京に隠棲、書画骨董の鑑定などで後半生を送った

高橋泥舟人物評
金貸しは「高橋様なら決して人を欺くことなどないでしょう」と顔一つの担保を信用して引き受けた
勝海舟、山岡鉄舟と並んで「幕末の三舟」と呼ばれている
勝海舟は高橋泥舟に関して『槍一つで伊勢守になった男さ!あんな馬鹿は最近見かけない』と
槍一筋、節義一筋に生きた泥舟の生き方を勝流に賞賛した言葉です

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