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独りディナー
カラード
2015年01月17日
テーマ:旅
あたかも、すっかり白人社会に溶け込んでいたかの様なブログを続けたので、我ながら口幅ったい気持ちになり、今日は南アフリカでの体験を書こうかと思う。
一昨年、初めて南半球を訪れた。
行く先は、南アフリカの、ケープタウンとヨハネスブルグ。
ガイドブックに寄れば、ヨハネスブルグは世界一治安の悪い地域だと説明されていた。ケープタウンは世界で第三位。
まず、主人の同伴者として行ったのが、ケープタウン市郊外。
開催された会議も、指定された宿泊施設も、市内からはかなり離れた場所に建つホテルで、公共の乗り物には乗らない様に、又単独行動を避ける様にと、まずアドバイスされた。
会議の開催中、同伴者として来ていた夫人達は、仲間を募って車をチャーターし、他にすることもないので、連日一緒に観光へと出かけたのだった。
初日は、一日かけて喜望峰へ。
昔、教科書で学んだその地へ行けた事は、天気に恵まれたし、素晴らしい景観だった事とも相まって、ちょっとした感激だった。
ガイドをしてくれたのはベルギー出身の中年女性で、南アフリカの歴史の当事者ではないせいか、説明も客観的だった。
「南アフリカの人口のうち、80パーセントがブラック、9パーセントがホワイトで、11パーセントがカラードです」
カラード、つまり有色人種、という言葉はその時しか聞かなかったが、初日だったせいか印象は強烈だった。
そんな風にカラードという言葉を聞くと、私がそれまで、いかに自分自身を「名誉白人」として位置づけていたか、思い知らされた様な気がした。
アパルトヘイトは、他人事であった。人種差別も、島国に生まれ育った自分からは、単なる観念的な問題に過ぎなかったともいえる。
翌日からは、南アフリカの白人女性がガイドする車で、ペンギンの保護地や植物園、ケープタウンの近くの観光地等を訪れた。
そのガイドさんは、非常にフレンドリーな雰囲気のある人で、私達乗客八人の名前と国籍もたちまち覚えて、和やかなムードを醸し出していた。
そのガイドさんの口からは、カラードという言葉は一度も出なかった。でもそれだけに、もし八人の観光客の中に、私が参加していなければ、もっと忌憚のないところで話が弾んでいたのかもしれない、等と思った。
私たちが滞在したホテルの広大な敷地もそうだったし、白人達の住む高級住宅街では、庭の周りを高い塀で囲み、更に塀の上には高圧電線が張り巡らされていた。
観光客用のワゴン車は、どれもガイドは白人で運転手は黒人だった。
食事に入ったレストランでも、座って食事している人たちは白人で、仕事をしている人たちは黒人だった。
ホテルの食堂でも、信じられない程大勢の給仕人が居て、サービスは素晴らしったけれど、彼らの全てが黒人だった。
「ホワイトか、それ以外か・・」
二週間かけた南アフリカ旅行は、次々と楽しい時間が続いたにもかかわらず、「カラード」の一言は、私の心の中で次第に膨らんでいって、人種問題はあたかも運命かのように思えてくるのだった。
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名誉白人
SOYOKAZEさん
コメントありが乙ございました。
「人種差別は、日常的に関係のない話」と感じていたのは、自分が差別される側である事に気づいてなかったのでした。
かつて南アフリカでは、日本人を「名誉白人」として扱っていた、というのも悲しい話でした。
2015/01/17 15:53:07
カラード
昔、「ウエストサイド物語」を観た時に、日本人からは、同じ西洋人と感じたプエルトリコ人もまた「カラード」なのでしょうね?
島国に暮らしていると、わかりませんが、海外に出た同朋が、この問題で、かなり差別を受けたり、屈辱を感じると思うと哀しくなります。
シシーマニアさんの日常が音楽を愛する友として受け入れられてよかったです。
南アフリカの人種差別は激しいようですね。
私の職場でも、スリランカ人の板さんが、見えない所で、かなり苛められていたと、後で知りました。
今でもメールを交わす仲ですが、ひらがなだけなので大変です。
私は彼に英語の表現を習い、日本語を少し教えたり、飲みに行く時はちょっとした国際交流ですね。
仲間には英語堪能な女性も居るから学べます。
2015/01/17 10:19:49