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歴史の評価は難しいですね? 

2015年01月14日 外部ブログ記事
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英雄達の選択(1)から

江戸時代、池田屋事件で英雄になった『新撰組』『近藤勇』
明治時代・大正時代『新撰組』『隊長近藤勇』は、逆賊
第二次大戦前後から、ヒーローになった『新撰組』『隊長近藤勇』
















新撰組(ネットより引用)

新選組とは
江戸幕府の京都守護職に所属しました
人員 24名(発足時)約200名(最大時)
公武合体に基づく攘夷断行の実現に助力することを目的とし新選組は結成されました

幕末の京都の治安
過激派志士(長州藩)が集まり、治安が悪化していました
幕府は、京都の治安維持に、京都守護職を新設しました(京都所司代と京都町奉行だけでは防ぎきれない)
会津藩主の松平容保を京都守護職として就任させました

新撰組誕生
江戸幕府は、将軍・徳川家茂の上洛に際して、将軍警護の名目で浪士を募集しました
募集に応じた200名位の浪人が、新撰組の前身「浪士組」として上洛しました
京都では、新選組は、「会津藩預かり」という非正規組織でした
京都守護職から、不逞浪士の取り締まりと市中警備を新撰組は任されました

新撰組発展
池田屋事件で尊王攘夷派志士を斬殺・捕縛で、新選組の名は天下に響きました
池田屋事件と禁門の変の働きで、朝廷・幕府・会津藩から恩賞を下賜されました
長州征伐への準備しましたが、新選組には出動の命令は有りませんでした

新撰組解散
将軍・徳川慶喜が大政奉還を行いました
新選組は、旧幕府軍として、戊辰戦争、鳥羽・伏見の戦いに参戦し新政府軍に敗北
隊長近藤は、新政府軍に捕われ処刑され、沖田総司も結核で死亡しました
新選組は、宇都宮城の戦い、会津戦争、函館戦争などに参加しましたが敗戦

新撰組評価の変遷
明治時代、新選組と敵対していた薩長出身者が政治の実権を握り、新選組は否定されました
小説『鞍馬天狗』でも、新選組は悪役として描かれています
庶民からは一定の人気があり、隊長近藤勇は、人格者の豪傑としての評価でした
太平洋戦争中は、陸軍・海軍で編成された飛行隊は「新選組」と呼称され、評価が見直されました
戦後は、新選組が主役に扱われることも多くなり、各隊士にもスポットが当てられるようになりました
『新選組血風録』『燃えよ剣』(司馬遼太郎原作)で新選組ブームが起こりました

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