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独りディナー
あの2000リラは、いずこへ?
2015年01月11日
テーマ:旅
30歳になる少し前、イタリアのボルツァーノヘ国際コンクールを受けに行った。
大体、ピアノの国際コンクールは、年齢制限が30歳である。
私の乗った、ディスカウントの飛行機は、まずローマに夜遅く着いた。
レオナルド・ダ・ビンチ空港の外に出ると、「タクシー!」と叫ぶ、沢山の客引きが所せましと並んでいた。
一人の人に、手を挙げると、まわりに居たタクシードライバー達がちょっと笑ったのが気にはなったけれど、とにかく荷物を預けた。
まず値段を訊け、と散々言われていたので尋ねると、忘れてしまったがやや高めの金額を言う。
それじゃやめるぞ、という気迫で訊きかえすと、リーゾナブルな値段に言い換えたので、はっきりと確認をとってから乗り込んだ。
ローマ市内は、前回来たときに散々歩き回ったので、若干の土地勘が残っていて、ホテルの場所は、ローマの終着駅「テルミノ」を右に曲がってその先にあるから、等と必死になって、知ったかで張ったりを利かせた。
無事ホテルに着いて、支払をしようとすると、「今はいいよ、明日又来て、ローマ市内を案内してあげるから・・」と、運転手が言う。
気持ちの悪い展開になったが、とにかく、ホテルにチェックインをするのが先かもしれないと思い、荷物を運んで貰ってさよならをした。
さて、その翌日。
純情な日本女性だった私は、時差呆けもあいまって眠れぬ夜を過ごした挙句、早朝にフロントへ行き、「タクシードライバーが支払を請求しに来ると思うのだけど、急用ができて今すぐ出掛けるので、これを渡して下さい」と、お金の入った封筒を預けて、早々にホテルを出た。
ローマ市内に居るだけでも落ち着かないので、テルミノからナポリ行きの汽車に乗った。
ナポリに着くと、今日一日はナポリの為にあるのだ、とばかりに私は、街中をあてどもなく歩き始めた。
分かり易い街だったのだと思う。
海岸沿いの街だから、迷えば海の方向へ行けば良い。
ナポリ湾のはるか対岸には、ポンペイの街を埋め尽くしたあの有名なベスビオ火山が、悠揚迫らざるといった風情で鎮座しているのが見えた。
あのくぼんだ処が、爆発で吹き飛んだ場所なのだろうか、と尋ねる人も居ないながら、「ひねもすのたり、のたりかな」の心境で、海岸でぼーっと時間を過ごした。
ナポリは、いかにも南イタリアといった庶民的な街並みで、建物と建物の間に長いロープを張って、道路の上に洗濯物が干してある様子は、映画の風景そのままだった。
夕方になって、やっとローマ行きの汽車に乗った。
乗客が買っていたお弁当の紙ボックスを、私も真似して購入したのだが、それは大正解で、鶏のもも肉のローストに、サラダとパンが付いていて、更に小さな赤ワインの瓶まで差し込まれていたのだった。
まあ、小瓶がちらっと見えたから、買ったのだけれど。
当時のヨーロッパの汽車は、コンパートメントと呼ばれる小部屋に分かれていて、私の横には偶然、日本人の奥さんとアメリカ人のご主人の、四人家族が座っていた。
ご主人は、広島に行った、とか横須賀に住んでた、等と懐かしそうに話していたが、奥さんは長い間日本語を口にしていなかったそうで、かなり忘れているらしい様子には、びっくりした。
そんな事も、あるのか・・。いつも外国語で苦労している身にとっては、口には出せないながら、羨ましい位の現象であった。
楽しい時間を過ごして、ローマ・テルミノ駅に着き、それでも少しドキドキしながらホテルに戻ると、すぐフロントのおじさんに「セニョリータ!」と呼び止められた。
「タクシードライバーは、来ましたか?」と訊ねると、
「貴女からの封筒は、ちゃんと渡したけどね。中に入っていた金額は、少し足りなかったので、私が2000リラ、立て替えておいたよ」
レートは忘れてしまったけれど、1000円弱位だっただろうか、私はすぐお礼を言いながら渡したのだけれど・・。
2000リラの追加金を請求したのは、本当に運転手だったのだろうか・・。
もしかして、フロントのおじさん?
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一人旅を、ご計画ですか?
マリーさんへ
このローマ体験は、若かりし頃なので、若干の冒険心がありました。タクシーもすぐ他の車に替わればよかったし、ホテルは若者用の安宿でした。今なら、もう少し用心するでしょうね。
土地の言葉は、拒絶の単語程度でよいのでは、と私は思っています。
「おいくらですか」とか、「お手洗いはどこですか」等と少しばかり覚えて行って、現地で頑張って使った事もありましたが、相手は「この人は喋れるな」とばかりにペラペラと答えてくれて、収拾がつかなくなった事が、何度もありました。
やはり何かあった時は、英語で対応するのが良いのではないでしょうか。英語ならば、イタリア人にとっても外国語だから、ゆっくりしゃべってくれると思いますし・・。
2015/01/11 17:00:39
40年前のことです
喜美さんへ
ホテルと言っても、ヒルトンとかじゃないので、領収書等思いつきもしませんでした。
若かりし頃は、お金は無いけど時間と体力はたっぷりあったので、手間だけは惜しみませんでした。お蔭でナポリともお馴染みになれました。
でもシニアは、用心に越したことはありませんね。
2015/01/11 16:45:38
色々なことがありますね。
こういうのを読んでいるとやはり不安になります。
パックツアーであればさほど問題はないでしょうが、個人旅行となると自由気ままな反面、不測の事態にどう対処していいかわからなくなります。
何が起きるか分からないですね。
初歩のイタリア語だけでも勉強しておいた方がいいかしら。
2015/01/11 14:19:24