メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

「こやんぴ」のぶらりお散歩ブログ

志摩・奈良旅行記 その6 

2014年12月30日 ナビトモブログ記事
テーマ:国内旅行・ウォーキング

内容のない「志摩・奈良旅行記」ですが、その6に至っても、まだ、二日目です。どうやら越年しそうな雰囲気が漂っております。

さて、21日の日曜日、私たちは、ミキモト真珠島と伊良子清白の旧宅しか見学をしなかったことになります。やはり、寝坊のつけは大きかったというべきでしょう。

真珠島で一番感動したのは、御木本幸吉さんと、その妻うめさんの創業時の苦労話。アコヤ貝が赤潮で全滅したり、真珠がまったくできなかったりと、苦労の連続。

旅をしていた幸吉さんに届いたといううめさんの手紙は、胸を打つものがあります。お正月には帰ってこないでください、その方が借金取りに会わずに済みますから・・・幸吉さんは、その手紙を読んで、奥さんの苦労を感じとって涙したとのこと。

うめさんは、養殖真珠の成功こそ見届けたものの、30歳そこそこの若さで亡くなってしまいましたが、幸吉さんは、お歳を目されるまでずっと、自らの成功は妻のおかげと言っていたそうです。

御木本幸吉記念館は、博物館や売店からは外れた場所にあるため、訪れる人が少ないようですが、きらびやかな宝石を生み出すための苦労を実感できる施設なので、お奨めです。

鳥羽駅近くにある伊良子清白の旧宅も必見。清白は、漂泊の詩人と呼ばれるように、日本国中を転々としたことで有名ですが、鳥羽の診療所が終の棲家となりました。彼は、往診に行く途中、病に倒れ亡くなったとのこと。当時、周辺の方々は大変だったかもしれませんが、真っ直ぐに歩き続けた人として、ある意味、理想的な人生の終焉だったような気がします。

御木本幸吉さんと同様、伊良子清白さんも早くに奥さんを亡くしています。ただし、幸吉さんが、その後、ずっと単身だったのに対し、清白さんは、娘さんの学校の担任の先生と一緒になったとか。

人それぞれの生き方があり、それをどうこう言うつもりも、資格もありませんが、同じ日に、二人の対照的な生き方を知り、私たち夫婦は、びっくり仰天した次第です。

写真は、真珠島のイロハモミジと、伊良子清白旧宅です。



拍手する


コメントをするにはログインが必要です

PR







上部へ