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独りディナー
聖地では孤独だった・・。
2014年12月21日
テーマ:旅
今朝の日経新聞に、時節がらだろう、マリア様像の記事が載っていた。
その中に、ポルトガルの聖地ファティマと、ナザレの事が書かれていたので、10数年前の旅を思い出した。
幼少の頃、母が良く、マリア様が現れたという奇跡の話を聞かせてくれた。
それらはルルドの奇跡と、ファティマの奇跡だったのだが、何故か私はファティマの方が印象に強く残っている。
母にとっても、時期的にファティマの奇跡の方が、リアリティーがあったのかもしれない。
主人のお供で、ポルトガルへ行く事が決まって後、ガイドブックを見ながら、初めて私はファティマの所在を知り、ぜひ訪れてみたいと思ったのだった。
仕事を終えて帰国する主人を見送って、私は数日間一人で滞在することに決め、まずはワインで有名な古い街ポルトへと電車で向かった。
そして次は、此処もかつて奇跡があったと言われる、ナザレ村へ向かった。
バスを使って行ったのだが、当時まだ観光地でもなかった漁村行きのバスは、ポルトからの買い物帰りとも思われる、野菜やお魚などの袋を持った、地元の人々が乗り降りしている、何とものどかな路線であった。
ナザレは、ずっと昔マリア様の像が流れ着いた場所という言い伝えがあって、小高い山の上には、像を記念した教会がある。
翌朝、ケーブルカーに乗って山頂へ行った。それは、通勤用の乗り物だったらしく、日常的な表情をした、沢山の土地の人達が、何の感動もない様子で乗っていた。
見物する人もいない其処には、昔、馬で駆け上がってきた騎士が頂上の岸壁で行き詰まった処、突然現れたマリア様に助けられた、という奇跡の場所があった。
断崖絶壁の、見事な景観を臨む様にして、古い教会が建っていた。
中に入って、会堂特有のひんやりとした静けさの中に、私は暫く座っていた。ふと、黒いベールを被ったおばあさんが、何やら私を手招きしているのが見えた。
訳がわからないながら、おばあさんに付いていくと、彼女は祭壇の裏側まで連れて行ってくれて、「ご覧」といった風に何かを指さしていた。
それは、古くなって殆ど黒ずんでしまった、この教会のシンボルである、マリア様の像だったのだ。
見も知らない異邦人に、何の警戒心も抱かず、只親切に案内してくれたおばあさん・・。
その日、お昼のバスで、ファティマへ向かった。何処かのターミナルで乗り換えた、ファティマ行きのバスは直行便で、巡礼者らしき人達で埋まっていた。
ファティマは、100年ほど前、羊飼いの子供達三人の前に、マリア様が何度も姿を現したという、有名な奇跡の場所だ。周りには何もない草原の中に、ぽつんとできた聖地である。
バスを降りると、全員がバズィリカと呼ばれる聖堂の方向へ向って歩き始めた。みな無言だった。
歩き始めて周りを見ると、団体の人達もたくさん居た。それにも係わらず、いくら広い草原の中とはいえ、大勢の人々に包まれた無言の静けさは、私にとって尋常ではなかった。
そのうち、経路はタイル張りになり、中にはひざまずきながら歩を進めているおじいさんもいた。
バズィリカには、大勢の人が居て、ミサが執り行われている様子だった。
やっと来た、という思いは全くなく、「恐らくこの中で、自分一人だけが、神の子ではないのだ」という、思いだけがあった。
神様に、というよりも、そこに居る人たち全員に拒絶されている様な、そんな思いにとらわれた。
帰りに、お土産屋さんの並ぶ通りへ出た。
そこには、昔看護学校で見た様な子供っぽい宗教劇のお人形や、子供のころ神父さまに戴いた様な、聖画の描かれたカードなどがいっぱい並んでいて、何処にでも見られる名所のお土産屋さんと大差なかった。
それだけに、その俗っぽい場所こそが、拒絶された私にとって、唯一身近な存在なのだ、という気がしてきた。
何とも言えない寂しさと共に、私は一人でリスボン行きのバスに乗り込んだのだった。
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