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独りディナー
神父さま
2014年12月20日
テーマ:テーマ無し
子供の頃住んでいた街には、何故か教会がたくさんあった。
幼い記憶だから、あいまいながら、外国人の神父さまや黒衣の修道女達が、道を歩いているのも、よく見かけた様に思う。
西洋志向の強かった幼い私は、異国情緒溢れる教会や修道女達の俗離れした様子に、その頃から憧れを抱いていたものだった。
多分、母にもその傾向があったからなのだろう、と今になって思う。
我が家はクリスチャンではなかったけれど、聖書は勿論、お祈りの本や神様に関する色々な本があったし、母からもマリア様の奇跡の話等、折に触れて聞かせて貰ったものだ。
母の友人が住む家の近くには、カトリック系の病院があって、その側には付属の看護学校があった。
友人のご主人が、その病院のお医者さんだった関係で、学園祭には其処の子供達と連れだって一緒に宗教劇等を見に行ったりもした。
子供の記憶だから、総合的には繋がってはいないのだが、その近くには大きなカトリックの教会があって、時折クリスチャンの親戚に連れられて、私も一緒に日曜日のミサに参列するのが、どうやらその教会の様であった。
母に連れられて友人宅で遊んでいたある日。お天気の良い昼下がりだったと思う。其処の家の姉妹と弟と私の四人は、家の中でのごっこ遊びにも飽きて、元気よく戸外へと繰り出していった事があった。
昔の事だから、周りは広い道端や原っぱなど遊ぶ場所には事欠かず、いつの間にか私たちは、教会の前の広場で、ボール投げなどしながら、大声を上げて遊び興じていた時。
教会の向かいにある修道院らしき建物から、お顔に見覚えのあるメンラード神父さまが出ていらした。
「ひゃっー!」というのが、私の内心のさけびだったなあ・・。
荘厳なミサの席で、いつも祭壇の前に立たれて手を広げてお説教などをしてらっしゃる、あのドイツ人の神父さまが、突然遊びの場に現れたのだ。
四人の中で私は、わずかながら年長だったし、何処かに、教会の前でこんな風に騒いで良いのか、という後ろめたさを封じ込めていた事もあり、まさに突然悪さを見つけられた、窮鼠の思いだったのだ。
しかも、神父さまは、流暢な日本語で「ちょっと、いらっしゃい」と言うではないか。
他の三人は、深刻さがまるでわかっておらず、それでも悪さが見つかった照れ笑いをこらえながら、修道院の薄暗い廊下を、神父さまの後についてぞろぞろと歩いている。
大分歩いた挙句、神父さまと私達は、小さなお部屋に着いた。
「どうぞ、中にお入りなさい・・」と、私たちを招き入れて下さった神父さまは、何と「あなた達に、良いものをあげましょう」とおっしゃったのだ。
そして、マリア様が幼いイエス様を抱いている、聖母子像の絵が描かれているきれいなカードを、一枚ずつ私たちに渡して下さった。
それは、長じて後、ヨーロッパの何処かの美術館で再会できた、ラファエロの有名な聖母子像を模した、小さなカードだった。
その、マリア様の衣の、明るい青の美しさは、メンラード神父さまの優しかった声と共に、今でもはっきりと思い浮かべる事ができる。
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長〜い、独り言です。
パトラッシュさん、度々コメント有難うございます。大変嬉しく読ませて戴いています。
エッセイと言うのもおこがましいのですが、文章を書く楽しさには、はまっています。書き始めた時に頭の中にある情景が、書き進むうちに思わぬ方向へと発展していく面白さは、ジャズの即興演奏に似ている気がします。クラシック畑の私には、想像の世界ですけれど・・。文章は私にとって、長〜い独り言です。其処にコメントして戴けるのは、至上の(?)楽しさです。今後ともよろしくお願い致します。
2014/12/20 13:18:02
珠玉の瓦礫に在るがごとく
砂浜を歩いていて、ふと見つけた貝殻。
と思いきや、それは意外にも光彩を放つ石であり、
慌てて周囲を見回せば、そこは実は、沃野であり、示唆の溢れる淵叢であった。
というのが、シシーマニアさんの文から受ける印象です。
ご健筆を。
2014/12/20 11:32:03