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2014年11月14日 外部ブログ記事
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熊野古道の旅(その2)穂陀洛渡海について

 JR那智駅(無人駅)を降り、徒歩5分のところに補陀洛山寺がある。
那智の浜、駅を挟んで反対側は白砂の砂浜で、熊野灘の彼方に観音菩薩が住む浄土、補陀洛(ふだらく)があるという信仰を信じた那智地方では多くの人が小舟で渡海を試みた。記録によればもっとも古いものは平安時代、貞観10年にさかのぼり、それ以降18世紀の初めまで渡海は続いた。補陀洛山寺の住職は61歳になると渡海につくことが習慣化された。寺の境内には歴代の渡海した上人の名前が21名記録されている。


 渡海に使用した小舟(写真右下)に乗り、一ケ月の食料とともに船底に閉じ込められ、引き船により沖に出て、沖の綱切島近くに来ると、供船でお経を唱えながら引き綱を切り、小舟は補陀洛をめざし死出の旅に出たといわれる。ウキペディアによれば平家の公達・維盛が入水したといわれ、境内には記念日が建てられている。日々是好日。


平 維盛(たいら の これもり)は、平安時代末期の平家一門の武将。平清盛の嫡孫で、平重盛の嫡男。平氏一門の嫡流であり、美貌の貴公子として宮廷にある時には光源氏の再来と称された。治承・寿永の乱において大将軍として出陣するが、富士川の戦い・倶利伽羅峠の戦いの二大決戦で壊滅的な敗北を喫する。父の早世もあって一門の中では孤立気味であり、平氏一門が都を落ちたのちに戦線を離脱、那智の沖で入水自殺した

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