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たかが一人、されど一人

心境の変化 

2014年10月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

先日ここで「もはやこの世でしたいことは殆ど無い。」と書いたら、同期の友人がびっくりしたようで「やりたいことが未だ沢山あるので、あと10年は生きたい。」とコメントをくれた。小生とて1日でも長生きしたくはあるが、長生きしたところで社会の変化を只見ているだけで、変化に能動的に働きかけるは勿論、今更自分が変わることもできない。個人的才能の発展や身体機能の増進もまず考えられないだろう。ならば、これ以上何かしようと考えないのが一番と最近思いはじめただけのことである。小さな企業活動を停止して既に3年、現在の日常は家人以外と会話する機会も殆ど無くなり、毎日マスコミ報道をおざなりに見るだけで、本もあまり読まなくなった。おまけに、ここ10年近く趣味としてきた山登りをこの夏から止めてみると、本当にしたいことが見つからない。山登りに喩えて言えば、下山途中の感じで登山口まで暫くありそうだから、精々怪我が無いようにゆっくり行こう、と言ったところか。一寸前までは相当疲れて帰っても、一定の元気を取り戻すと、陽気が許す限り次に行きたい山が脳に湧いてくるものだった。別に大枠で100名山踏破のように大それた目標があった訳ではないが、山歩きをしているからには次を考えろ、と言った一種の強迫観念があった。旅行好きの人が、仲間と帰宅の途中に次の目標を決めると同様のことを一人でしていたようなものだろう。脳内に居た積極的な自分が居なくなってしまったのは何故か?この夏に山の遭難事故が相次いだこともあるだろうし、前立腺が見つかったことあるだろう。「登山は上って又降ってこなければならない。だから俺は山登りなんか嫌いだ。」と下らない理屈を言った偉い人が居るらしいが、そんなことは絶対間違っている。山歩き山登りは素晴らしい行為で、あの充実感は登ってみなければわからないかもしれぬが、どんな人でも山から帰れば人生に対して前向きになっているに違いない。その素晴らしさは百も承知だが、このエンドレスの素晴らしさをこれ以上追及していくことが自分にとって、却ってストレスになり兼ねない。もう十分楽しんだから少しゆっくり休もうと思ってしまっただけである。同じことはあらゆることに共通している。人間の向上心は本来限りないものかもしれぬが、残念ながら体力や寿命には限りがある。道端に腰を降し、ゆっくり一服しながら、旅を急ぐ人々を観察するのも又楽しそうだ。客観的に世間を見ていると、様々な人が居てそれぞれの理屈がある。そのどれに組するかを離れてしまえば世間が違って見えるかもしれぬ。婆さんに言わせれば「やっと人並みの年寄りになれたと言うことよ。」である。

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