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若宮八幡宮 杵築市 龍の鬼瓦 

2014年10月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

若宮八幡宮 杵築市
尾道狛を堪能

 
 
 
 
 
 
 
             参道

     元禄6年(1693)に築かれた石段

文化10年(1813) 阿形は茂みに覆われています

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
祭神
大鷦鷯命(おおさざきのみこと) 別名仁徳天皇
菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)
宇礼姫(うれひめ)
久礼姫(くれひめ)
 
人皇第65代花山天皇の御宇、寛和元年(985)12月、従五位下、紀兼貞朝臣(紀田家33代前の祖)が勅宣を奉じて、伝灯大法師(南都大安寺の行教和尚の直弟)と共に京都男山石清水八幡宮若宮四所の御尊像を守護し奉り、この豊後国速見津郡八坂郷に下向致しました。下司村柏島に鎮座し奉ったのがその最初で、今を隔たる壱千有余年の昔のことであります。                    
その後、天喜5年(1057)3月生地村岳に、承安3年(1173)9月中村に、そして嘉暦元年(1326)11月現社地(金鷹山の聖地)に御遷座申し上げ、明治6年郷社に、大正10年県社に御列格になりました。累代藩公の氏神として尊崇篤かったことは申すまでもなく、地方郷民の宗祀として愈々御神威のいやちこに亘らせられることを拝し奉るのであります。 (若宮八幡宮HPより抜粋)            拝殿     

 
和漢将軍社
記念碑横の燈籠は元禄十三年(1700)奉納
祭神は杵築藩の初代藩主である木付親重公である。
親重公(弘安4年(1225〜1285)は、杵築地方開発の始祖と仰がれ、またお名前通りに学問の神様として広く崇敬を集めている。                          

建長元年(1249)大友親重は、大将軍藤原頼嗣に謁し、従五位下に叙せられた。父から速見郡武者所として、3,500貫を受け、豊後国八坂下荘木付邑に下向した。             
はじめは鴨川の桶屋敷に居たが、竹ノ尾城を築いて移り、大友の姓を木付に改めた。                    
親重は若武者であった25歳のとき、御嵯峨天皇の第1子宗尊親王から『和漢将軍と称すべし』と褒めたたえられたのがその名の
由来であるほどの文武兼備の智将である。          

 

拝殿 意匠が素晴らしいです。

龍の鬼瓦凄い。飛び狛 木鼻 蟇股

凄い屋根でした。

拝殿横 紅白に青、緑まで入っています。

本殿

拝殿内も紅白
色鮮やかな蟇股が並ぶ

 

宝暦十一年(1761)造営の随神門

拝殿と釣り合う豪華な門です。

 

ここで時間を取り過ぎたので以降はますます駆け足となりました
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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