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薦神社 

2014年10月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

   とりあえず到着

   ここからだと結構歩くみたい

   大きなクスの木

   ここまで移動しました。
   浪速型が守る

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

末社かと思いきや

呉橋でした。

神門が見えます

紅葉の時期ならもっと素晴らしいでしょう

拝殿
社伝によれば、承和年中(834〜48)に初めて社殿が造られ、
天仁2年(1109)に神宮寺の七堂伽藍が建立されましたが、 
源平の争乱時の元暦元年(1184)、緒方惟栄によって社殿が 
破壊されたといわれています。               
その後長く記録が途絶えますが室町時代になると、豊前国をも領した周防・長門の守護大内氏によって、応永〜永享年間(1418〜31)及び天文年間(1532〜55)の二度にわたって社殿の再興が行われました。                     
 
ついで、慶長5年(1600)黒田氏の転封後入部した細川忠興公は宇佐宮とともに薦神社の復興にも力を注ぎ、元和年間(1615〜24)に本殿・講演堂(申殿)・回廊・御炊殿・薬師堂・楼門・若宮殿・南門・鳥居などを造営しました。           
 
復興された薦神社境内の様子は、その時に描かれた『宇佐宮絵図』にうかがうことができます。細川氏の復興した楼門が現在の神門で、国の重要文化財に指定されています。        
 
明治20年の「薦神社明細図書」には幕末以後造営された社殿の記載があり、若宮社・祇園社・呉橋・馬屋・玉垣・黒男社・井戸館などの建物がみられます。                 
その後二度にわたる大戦とその後の混乱の中で社殿の老朽化が進んだため、平成7年から神門(重要文化財)の解体修理、9年から拝殿・申殿などの修理を行ってまいりました(薦神社HPより)        

手持ちのレンズではここからが精一杯でした。
各社に狛犬がいるようです。

神門は元和八年の細川忠興の造営によるものが現存しています                 

有翼の龍?

鮮やかな狛犬が遊ぶ

薦神社神門
  三軒一戸の二重門で、初重の前後にもこしをつける。    屋根は入母屋造りこけら葺で、もこし前面は唐破風となっています。                           
薦神社の神門は、平面規模に比べて成りが高くなっており、初重にもこしをつけて全体の釣り合いを取っています。      
他に類例のない、江戸時代初期の大変珍しい形式の二重門であることが認められ、昭和63年(1988)に重要文化財に指定されました。                          
  細川忠興は、元和2年(1616)に長らく途絶えていた宇佐行幸会を再興します。その時に、宇佐宮の建立に続いて薦神社の社殿も再建されました。現在の社殿は江戸時代末期のものです。                           
細川氏の造営のあと、小笠原、奥平氏、明治から昭和にかけて大小さまざまな修理が施されてきました。この修理をつうじて、神門は少しづつ姿を変化させてきました。平成7〜9年にかけて神門は解体修理が行なわれ、造営当初の痕跡を調査しながら解体を行ない、当初の姿に復元されました。             

駆け足で不意に寄ったので見逃したものが多いと思います。
 
 

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