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街の記憶
鎌倉橋
2014年10月22日
テーマ:謎探訪−=≡Σ((( つ・・)つ
道は、神田川に浸食された急峻な南崖段丘を斜めに下り、神田川にかかった「鎌倉橋」を渡ります。
鎌倉橋から、東の下流方向をみると、森が見えます。
あれが、太田道灌んが生まれた館跡ともいわれる「下高井戸浜田山八幡神社」通称、高井戸八幡様。
各地の鎌倉街道沿いには、八幡神社、八幡神宮が多いといわれています。
当八幡神社の社伝によると、長禄元年(1457年)に太田道灌が江戸城を築くとき、工事の安全を願い、家臣の柏木左衛門に命じて鎌倉の鶴岡八幡宮の神霊を勧請して創建したものといわれている。とあります。
また、昭和初期まで当社の宮司であった斎藤守高は、俗に「面芝居」ともいう神楽の元締で、芸名を「中村縫之助」といった。この面芝居は、明治末から昭和10年頃にかけて流行したが今は絶え、現在は数個の残された面が残るのみである(Wikipedia)
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