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平成の虚無僧一路の日記

変化する古典尺八 

2010年04月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



口伝えであるから、伝える人の解釈もはいり、伝播とともに
どんどん枝別れして様々な宗派、教団ができた。

これって、虚無僧尺八も全く同じではないか。中国の普化を
開祖と仰ぎながら、普化の「明頭来明頭打、暗頭来暗頭打」
の偈以外、教義は何もない。みなそれぞれに勝手に解釈し、
虚無僧が生まれた。そして、虚無僧が吹く尺八の曲も口伝
だから、その人の技量、解釈でどんどん変わってきた。
同名異曲だけでなく、曲は似ているのだが、曲名が勝手に
変えられていたりする。

現代、虚無僧尺八愛好家によって好んで吹かれている曲は
50年から100年くらい前のものでしかない。それもどんどん
曲の趣きが変わってきている。

私が尺八を始めた50年前は、琴古流の「鹿の遠音」や都山流
の本曲に憧れて尺八を始めた人が多かった。最近では「鹿の
遠音」もあまり聞かなくなった。

40年ほど前から、海童道が現れて、尺八家を驚かせた。
それまでの古典尺八とは全く違った斬新な前衛音楽だが、
「古典本曲」として、尺八家以外に広く知れ渡った。

その海山道曲を受け継いだ横山勝也は、劇場音楽に高め、
見せる聞かせる尺八本曲にした。それから30年、最近漸く
譜面も広まり、横山師の『手向』が、あちこちで吹かれる
ようになった。

戦前、日比谷の野外ステージで多くの聴衆を集めたという
神如道師の尺八も、我々尺八愛好家にはすばらしい価値ある
ものだが、今はもう一般人をひきつける力は失いつつある。

ものすべてに賞味期限がある。古典本曲といえども、寿命は
せいぜい100年なのだ。

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

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