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たかが一人、されど一人

先週のこと 

2014年10月20日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

先週は良い天気で行楽日和が続いたが、個人的には大変な1週間になってしまった。14日昼少し前頃、永田町の国会図書館で読書中に携帯が鳴った。読書室から飛び出して携帯をとると長野の弟からである。「先ほど義姉が病院で急に亡くなったので直ぐに来てくれ。」とのこと。おっとり刀で千川の事務所にとって返し、背広に着かえて東京駅に着いたのが13時頃。13:08に乗り損ねると次は14:08発で1時間も無駄になる。ところが、新幹線のホームにはカードのタッチでは入れない。改札機脇に控える職員に「兄弟の死に目に会うか合わぬかの境目」だと掛け合うと、事後精算と書かれたメモで改札をパスさせてくれた。便利を図ってくれた事には感謝すべきだろうが、JRの事後精算は現金のみで、通常切符購入の際に3割引きなるジパング倶楽部のカードでも割引は一切効かないことを学習した。昨日も大宮で下車するつもりでいたが、足の不自由な婆さん同伴だったので東京駅まで乗り越すと、大宮―東京間の特急運賃精算で千円強支払うことになってしまった。火曜日に学習したばかりで知ってはいたが、何とも口惜しい話だ。義姉は小生の1歳上で75歳、長年刺繍教室をやったりソロプチミストとして内外で活躍する非常に行動的な人であった。7年前に兄が亡くなり甥や姪も東京の方に出ていたので一人暮らしではあったが、元気にしていた筈であった。小生も今年になって4月と8月2回も兄弟姉妹で食事を共にしている。ただ、姪に聞くと却って無理が祟っていたのか、身体は大分疲労されていたようではある。先週連休前の7日に姪が長野に戻り、昼には焼肉を食べたり、8日の午前中には刺繍の教室で指導をしたりした後で、急に具合が悪いと言うので姪が病院まで連れて行くと、そのまま入院と言われた。何でも腹水がたまっているので、それを抜くと言うことだったらしい。母を入院させた後、姪も一旦東京の自宅に戻ったところ、14日早朝病院からの電話で至急来てくれとの連絡、10時半頃に駆けつけたが結局間に合わなかった。死因は肺にも水が溜まってそれを抜く手術に入りかけたが、食道に逆流した血か何かが詰まってしまったとのこと。結局死因もあまりはっきりしない感じがある。でも死んでしまえば、はいそれまで、であっけないものだ。こちらが長野に到着した3時過ぎには亡骸が自宅に戻り、弟と姪が既に葬儀の段取りを進めていてくれた。なんでも義姉が生前から姪に対し、兄と同じように通夜は自宅で、葬儀を菩提寺でと言い残していたとのこと。ところが寺での葬儀は結構小難しい問題がいろいろある。結局通夜は明日15日18時から、翌16日朝出棺して長野市営の焼き場で骨上げ、2日置いて日曜日の2時半から寺での葬儀、お斎は市内のホテルで4時半からと決まる。こちらは15日病院での検査が入っていたので火曜日夜いったん帰宅、翌15日の午後通夜に間に合うように長野に帰って16日の骨上げを済まして又帰宅。昨日19日に婆さんの他に娘まで引き連れて3度目の長野入りをして夜帰宅となった。1週間足らずの間に3回長野を往復した事になる。しかもその間、16日のこちらの出棺の時刻に幼馴染の葬式が重なったので、15日には友人の自宅を弔問して線香を上げさせてもらった。葬式のダブルヘッダは洒落にもならぬが、死の至近弾が身の回りに落ちてくる感じで寒々した気分だ。この間報道に接する時間が非常に少なかったが、なにやら女性閣僚2人が辞任とのことで安倍政権が一寸した騒ぎになっている。多分旅の途中で読んだと思うが、現内閣を田舎の食堂のカレーライスに喩えて書いてあった。支持率が落ちないのは積極的支持ではなく、他の選択肢が無い故のこと。鄙びた田舎の食堂であってもカレーライスを注文しておけば、そんなに大きな間違いが無いとしたものらしい。上手いこと言う人が居るものだ。

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