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神上神社 周南市 天明?の狛犬 

2014年10月20日 外部ブログ記事
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       神上神社

 
神上神社由緒書
 神倭伊波礼毘古命(神武天皇)は、遠大な建国の御計画の元に、舟師をひきいて、日向高千穂を進発され、長い年月と幾多の辛酸を経て大和を御平定、橿原宮においてわが国初代の天皇として御即位になった。                    
 この神上の地は、天皇が日向御進発の当初、海上の遭難によってお立ち寄りになり、半年の間をお過ごしになった行宮であり、御東行の途次、暫し安らかに憩われ、深く御心に留め給うた聖跡である。                         
   
天皇は、日向より筑紫国を経て海路内海を御東行中、周防灘に至り思わぬ風波に御遭遇、北の方へ吹き寄せられたので、ほど近い小島(竹島)にお舟を留められた。この時天皇は御船酔い甚だしく、島の対岸に漕ぎ入れてお休みになった。里人は種々の薬草を献じ御快癒をお祈りした。                 
これを含まれると即ち御快くならせられ「我が心たいらかなり」と仰せられ、里の名を「たいらの里」(平野)と命名された。               
さらに、波音の聞こえぬ地でお休みのため、水際伝いに進まれると里があり、此の処の石に御腰をお掛けになるうちに夜が明けた
この地は海上より微かな光を見た吉兆の地であり、微明(見明・みあけ)という。                     
 
ここより山の麓をおのぼりになると、谷水の音が幽かに聞こえる静かなところ、彼方に黒髪島、仙島などが夢のように浮かぶ瀬戸の海を眼下にした絶勝の小高い丘にお着きになった。ここに仮宮の御造営を仰せ出された。                 
 天皇は近い高根に登って四方の地勢をご覧になり御東行の道を御案じになった。この時、四匹の熊が地に伏し額づいたので、この山を「四ツ熊の峯」(四熊嶽)と名づけられた。
 およそ半年、この仮宮で態勢を整えられた天皇は、「御舟は海の上を経よ、我は陸地を行かん」と仰せられて再び御進発、安芸国・吉備国を経て遂に大和にお入りになり建国の鵬図は成った。
 天皇は、この神上の地に深く御心をお留めになり、ご出発にあたって、「朕何国ニ行クトモ魂ハ此ノ仮宮ヲ去ラザレバ長ク朕ヲ此ニ祀ラバ国ノ守神トナラン」と宣らせ給うた。
 
神社入口


 

       古い石垣が気になります

          一の鳥居の狛犬
        大正十三年奉納

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
              神門

これが天明の狛犬?
台座は天明三(1783)葵卯 となってますが
台座違いのような気がします。
古い浪速狛犬ですが天明まではいかないかな?

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

       神武天皇御腰掛岩


             拝殿


拝殿前狛犬   昭和二年 奉納

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
拝殿と本殿

              本殿

         古い井戸ポンプと手水鉢?

        手水ではなく石棺でした

            南側の入口                          
 
 
 
 
 
 
 
 
古そうですが年代不明

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
神上神社の上は陶氏居館跡でした。
何時の時代のものかはわかりません
神社の上の池?豪?

少しあがると石垣が見えてきます

石垣
石垣上には上がれません
工事中でした

空堀跡?石垣上には家が建っています

参道より海 
道が狭いです。

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