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自分史 

2010年10月29日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



★自分史なるものを書きだして、幾らか経った。あまり時系列にはこだわらずに続けてきたが、人生の中で一番長かった会社勤めの時期をどのように纏めるべきか?いろいろあるだろうが、自分でも書きやすいと思われる『時系列』に沿って書いてみたい。20歳のころから日記は書いていて手元に残っているので、年次に追っかけて行けば案外ちゃんとした記録として纏められるかもしれない。スタートするのは、次回からとして、このブログを書きながら、そのコンセプトを考えてみようと思う。★どれくらいの期間勤めたのか?昭和32年4月1日、(1957年、24歳)から、平成11年5月(1999年、66歳)の42年間、それ以降3年間顧問として丁重に扱っていただいたので、何となく70歳近くまで会社勤めをしたような気分である。入社したのは、川崎航空機工業に入社して、その後川崎重工業と3社合併をしたので、籍はメーカー籍なのだが、その間3回の販売会社出向があったりして、勤務期間は販社の期間の方が長く、そんな経験が必要な時期にメーカーに呼び戻されたというよう方が当たっている。最後にお世話になって勤めた、北海道川重建機も、川重の子会社ではなくれっきとした自前の会社で、その会社の経営を頼まれて2年間ほどお手伝いをしたのである。会社での仕事の内容は、そのほとんどが新しい業務で、引き継ぎをしたこともないし、上司に仕事の内容を教えて頂いたことも一切ない。カワサキの二輪事業そのものが全く新しい事業であったこともあって、先輩方にもその経験が一切なかったのである。そんなこともあって、最初に販社に出向した時は、係長でもない平社員であったのだが、いきなり課長の職責を頂いた。従って主任とか係長などと言う経験はなくて、残業がいきなりなくなってぃ一番多く残業代が入る時期はなかったので、金額面では結構辛かったのである。さらに言えば、35歳以降は、規模はともかく所謂 『経営』 を担当していて、66才で退職するまでずっと『経営次元』の仕事を担当してきた。メーカーの事業部の管理経営と、現実の企業経営と明らかに違う点は、『資金繰り』があるかないかである。赤字、黒字などと言っても、『資金が止まれば倒産』するし、『幾ら赤字でも、かっての国鉄』のように金さえ続けば、幾らでも続くのである。『資金繰り』の解らぬ経営者が実際には多いのだが、これは親方日の丸と言われる『管理経営者』なのである。その有無で経営のオモシロさや次元が全然違うと思っている。★ちょっと、普通一般のサラリーマンが、経験する会社勤めとま、全く別の世界を歩いてきた。もう一度、人生をやり直したとしても、全く同じ道を歩くことに、何の躊躇もない。非常に幸せな会社生活であったと思う。そんな会社勤めの生活を、昭和32年(1957年、24歳)から、1年を1回、原則として40数回にわたって書いてみようと思う。週に1回とすれば、40数回、ほぼ1年で終わる。自分史でもあるしカワサキ野会う意味単車の歴史とも言えるもののなればいい。多分まだ1年ぐらいは、大丈夫と思っているので、何とか書き終えることができるだろう。その間、日記も1年づつ読み返してみたい。そんなコンセプトで、来週からスタートすることにする。Twitterブログパーツ

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